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2015年12月25日金曜日

「甘やかされている」とは「他者からの注目に執着すること」だと思う

最近の息子は、結構アピールするようになりました。こうしたい、こうなんだよ、ほら見て、できたよ!...などなど。私が何かしているときにそう言ったアピールがあるとイラッとすることもありますが、可愛いなと思います。
注目を得ようとするあまり「親を困らせる」ことにはしることもありますし、「ほら、お着替えしたよ!」という「親の期待通り」の行動をすることもあります。
大事なことは、子どもが存在していることにそのものに価値を見出すことです。子どもがお茶をこぼそうが、保育園の準備をきちんとしなかろうが、お遊戯会でうまくできなかろうが、子どもが生きていることに感謝したいです。
そういう親の気持ちが子ども伝わることは、「注目を得ようとする行為」から「他者貢献」への移行をスムーズにするのではないでしょうか。自分の存在そのものに価値を感じられるようになれば、「優越性の追求」の歯車も動き出し、「他者承認」に依存することなく「他者貢献」を目指した行動につながるかもしれません。

そんなことを考えながら、毎朝の保育園の準備に苦闘する日々です。

2015年12月24日木曜日

岸見関連本を改めて読み返す時間は減ったが、いつも頭はアドラー心理学?

最近はそれほど大きなイベントがないこともあって、あまり落ち込むこともなく、本に逃避することも減ってきました。それでも、学生や上司との仕事上でのコミュニケーションや生き方などを日々振り返る時に、アドラー心理学はいつもシンプルに考えさせてくれるなと思います。
先日、職場の同僚がまあまあ大きいミスをしました。そのとき私は「自分じゃなくてよかった」「あの人ならいつ起こしても仕方ない人だ」といった気持ちになっていました。要するに見下していました。その人はダメな人、自分はそれよりもマシ、というしょぼい思考でした。人の価値は行動で決められるものじゃありません。存在そのものにある。その存在そのものに対する価値を実感できるから優越性を追求できる。私が行動で決められる価値に依存している証拠を見つけることができたのは、岸見先生の著書のおかげです。すごく自由になってきている実感があります。「アドラー心理学の考え方を使うぞ!」と意識しなくても、ちょっと気になったことがあって自分の中で振り返るとき(イラッとしたときに、なんで自分はそう感じたのかを考えたりするとき)に自分なりにさらっと振り返れうようになれた気がします。

それでも、たまには読み返した方が忘れてたところを思い出せるから必要ですよね。でもそれほど精神衛生的に崩れてなければなかなかモチベーションが上がらないのですが。辛いと感じたときにまた立ち戻ればいいのでしょうかね。

2015年12月23日水曜日

糖質制限しても体脂肪率が落ちない原因を考えてみる

血中のケトン体を測定すると、いつも0.4以上はキープできている状況にあるようなので、ケトン体代謝に身体がシフトできたと感じているのですが、

2015年12月22日火曜日

実践ケトプロ食レシピ〜トマトのもつ煮

トリッパはイタリア語「もつ(内臓)」のことのようです。イタリアンを食べに行くとたまにトリッパというメニューを目にしますが、トマトのもつ煮のことのようです。とりあえずトマト缶とニンニクと豚・牛のもつがあればある程度美味しくなります。味付けは塩だけでも十分かと思いますが、その辺はお好みでどうぞ。まずは食材です。

  • トマトの水煮缶1缶
  • 牛もつお好み量(小腸とか脂の多いのは50〜100gくらいあれば十分旨味は出ます)
  • 豚もつお好み量(白もつと言われるボイルしたものがよくスーパーにあります)
  • 塩とニンニクをお好み量
  • おまけ食材:玉ねぎ、セロリ、生姜、ハーブ類(胡椒、バジル、ローリエ、セージなど)、コンソメ顆粒など


上記を圧力鍋に入れて20〜30分くらい煮ればできあがり!個人的にはセロリを入れるとかなり美味しいです。食材を切って鍋に入れるだけでそれなりに美味しくできます。この前は牛もつとしてレバーも入れてみましたが、美味しくはなかったです...。

2015年12月21日月曜日

ケトプロ食実践者が職場での補食で頻繁に食べている食材は?

仕事が遅くなったり、お弁当忘れたときなどに必要になりますよね。ケトプロ食実践者はその辺のコンビニでいいものを確保できないので、選択肢が狭まりますよね。
冷蔵庫があればよりストックしておける種類が増えますが、常温保存できるものも多いです。まずは常温保存できる食材は...

  • さんま(サバ)など魚介類の水煮缶
  • かつおぶし
  • 真空パックされているアマニ油
  • 瓶詰めのMCTオイル

プロテインパウダーとかもイケるんだと思いますが、私は冷えたのを飲みたいので持ってきてないです。

冷蔵庫があれば...

  • バター
  • チーズ各種
  • 生クリーム
  • マヨネーズなどの調味料類

今思いつくのはこのくらいですかね。

実践ケトプロ食レシピ〜手作りラード

豚の背脂を適当な大きさに切って、鍋に入れてひたひたになる程度に水を入れたら、圧力鍋で15分煮ます。その後、ハンドミキサーでホモジナイズして完成です。
豚の風味があるので、調味料としてスープとかに添加して美味しく飽和脂肪酸が摂取できますし、揚げ物の油としても使用できると思います。

2015年12月20日日曜日

断食とオートファジー...やはり適度な断食はカラダにイイ?

やはり、何も食べない時間を確保することは大事かもしれないと思い始めました。
たがしゅう

2015年12月19日土曜日

人類を発展させた糖質を取り入れたケトプロ食は可能か?

「炭水化物は人類を滅ぼす」を少し読みました。人類はほんの5万年前に穀物で進化したことから記述されています。これだけ世界中で人類が72億人も存在できるているのは、

2015年12月18日金曜日

実践ケトプロ食レシピ〜バラ肉のボイル

ただの茹でた肉の話!?と思わないで欲しいです。材料は下記の通り。

  • 脂多めの肉(豚バラ、牛バラ、ラムなど)
  • 酢醤油、溶かしバター醤油、溶かしバターバルサミコ酢、各種香草類などのお好みの低糖質調味料
今回は手順も書きます。
  1. 鍋に肉を入れ、肉が浮かぶくらいの水を入れます。水から煮るのがポイントです。
  2. 弱めの中火で火にかけ、あったか〜いくらいの温度になったら一度お湯を捨てます。
  3. 再度同量の水を入れ、中火くらいで再加熱。そのままだとお肉がくっつくので適宜かます。
  4. 煮えたら完成。ザルでお湯をきって、お好きな調味料でモリモリ食べます。
手順を書く必要があったかは疑問ですが、これがロジカルクッキングの考えを取り入れた調理法でして、水から弱火で調理することで柔らかなお肉に仕上がります。ぜひお試しください。

2015年12月16日水曜日

「糖質制限」してもお残ししない

イケダハヤトさんが怒っていますね。
「糖質制限」とか言ってるおっさんたち、外食で「白米だけ残す」なんてありえないでしょ。大人として。
すみません。という感じです。心当たりがないわけではない。マックでハンバーガー食べて、バンズを少し残すことがあります...。ハンバーグ屋に行って付け合わせを残すとか。今度からは付け合わせもいりませんとちゃんと言うようにします...。

2015年12月15日火曜日

【レビュー】27インチiMac Retina 5kディスプレイモデル(Late 2015モデル)

ついに購入しました。21.5インチiMac(Mid 2012)からの乗り換えです。グラフィックを駆使するような職業ではありませんが、

2015年12月12日土曜日

息子が保育園に行くために私ができること

毎朝苦労していることは、息子を保育園に送り届けることです。アドラー先生の教えを実践したいと思うものの、大きな声を出して脅してみたり無理やり着替えさせてみたりしたりする日も多々あります。一体何がベストな、スーパーベターな選択なのでしょうか。

2015年12月11日金曜日

実践ケトプロ食レシピ〜鶏胸肉のチーズのせオーブン焼き

これは妄想レシピです。まだ作ったことはありません。しかし、絶対美味いと思います。
鶏胸肉2枚(切れ目を入れて薄い一枚肉にする)

  • とろけるチーズ(実はちゃんとナチュラルチーズだったり)
  • ニンニク・胡椒・ハーブなどをお好みで味付け(たぶんバジルなどが合う)
  • お好みで生トマトor水煮缶などもいいかも
  • オリーブオイル少量

耐熱皿から取手の取れるフライパンに、薄い一枚肉に成形した鶏胸肉とニンニク・ハーブ類を入れ、チーズをたっぷりちらし、オリーブオイルを少量たらして、180度くらいのオーブンで15〜20分くらい焼けばできあがると思います。オリーブオイルを使うのが不本意ですが、ラードか豚バラ肉を一緒に焼いてもいいかもしれないですね。

2015年12月9日水曜日

実践ケトプロ食レシピ〜豚肩ロースかたまり肉のオーブン焼き

豚肩ロースがこんなに美味しかったなんて。最近は豚バラばっかり食べていましたが、肩ロースの脂と赤身の絶妙なバランスといったら...。

2015年12月8日火曜日

読者の方から初めて連絡もらいました

ブログにメールアドレスを載せたのがいつかは忘れてしまいましたが、アクセスが1日数件〜数十件発生するようになり、こんな不定期のブログにたどり着いてくれる方がいるもんですね。読者の方?から連絡いただきました。同じタイトルで

2015年12月2日水曜日

2015年11月25日水曜日

ケトプロ食からチートデイ(糖質祭り)をすると消化管が...

先週末、飲み会での料理が足りないと感じながらの帰り道。ふと目に止まった餃子の王将。まだまだ私も糖質中毒から抜け出られていないんだなぁと実感しました。まだ食べたいと思うわけですから。そして、

2015年11月22日日曜日

自分の正当性を示すためのアドラー心理学は本末転倒

初めて嫌われる勇気を読んだとき、「他の人は間違っているんだ」ということを無意識に感じていました。もちろん今でもそれはゼロではありません。「競争に勝つ」ために

2015年11月17日火曜日

糖質に酔ったときは消極的にならず、酔った勢いにまかせてできることに取り組む

すっかり1日2〜3食が定着してきて、調味料以外の糖質類にはほとんど手を出さずに生活できるようになりました。ですが、週末は

2015年11月14日土曜日

未だに自分の正当性に執着して競争で消耗しています

相手から否定的な言葉をかけられる時は、自分の正当性が破壊された時だと思います。この時私の感情は「復讐」「自己顕示欲」「執着」などでいっぱいになってしまうことに気がつきました。おかげで消耗しています。課題の分離は難しいですね。嫌われる勇気というのは達成することができない理想郷なのかもしれませんし、まだ私の中では「いかに楽に人生を生きるか」をテーマにしてしまっているあたりが、より嫌われる勇気という概念への到達を妨げてしまっているのかもしれません。そもそも人生が楽であるという勝手な「理想」を作り上げてしまうことも自分本位なところがあります。

他者との競争から降りるためには、圧倒的な自己受容感を保ち続けるスキルが必要なのかもしれません。

2015年11月9日月曜日

ケトプロ食な1日1食をやめて、1日2食にしたら筋肉量が増えてきた

ケトプロ食っぽい食事で1日1食にしていたのですが、お弁当を食べなければならない状況に追い込まれたため、2週間お弁当生活をしていました。そしたらなんと筋肉量が増えてきました。たんぱく質の摂取量も増やしたので、その影響があるにしても、やはり1食だとよくなかったと感じました。昼食であってもケトプロな食事であればモタれることもなく、眠くなることもないです。食事直後に全力疾走すれと言われれば無理ですが、食後の体調不良はほとんどないです。そして、ケトン体代謝に身体が慣れてくれたことも良い影響だと思われます。これからはお弁当男子になります。週末に作りだめして、レンチンで昼食準備します。

1日1食で、糖質が切れたときの代謝に移行するための予行演習としては良かった側面もありますが、一番大事なのは糖質以外の食材でエネルギーを補給することですね。しばらくは卵も控えて、肉とチーズと少量の野菜で過ごしていこうと思います。

そして、筋トレせずに体脂肪率を13%に近づけることが今の目標です。できれば体重は75kgを維持したい。食事量が減ると、簡単に72kgとかになってしまうので。体重は減るのに体脂肪が変わらないし。たくさん食べよう。

2015年11月8日日曜日

自分は卵アレルギーだと思われる「身体の声」

いったい今、自分がパレオダイエットを実践しているのかケトプロ食を実践しているのかよくわからなくなってきましたが、どちらかというと今はケトプロ食的な食事を実践しています。ケトン体にも身体が慣れてきたのもありますが。

そんな中、今まで積極的に食べていたゆで卵が、ちょっと身体に合わないと思うようになりました。昼飯にゆで卵3個とか食べると、胃部不快感というか倦怠感のような感覚があるなと。そしたら小西先生も卵にアレルギー反応がみられるとアレルギー検査でわかったようでして、これはおそらく私もそうだなと思うようになりました。

以前もゆで卵が身体に合わない旨の投稿をしましたが、核心に変わりました。卵は基本的に美味しいので、スープに入れるなど調味料として使うことはありますが、そこまで積極的に食べる必要はないと判断しました。

なので、最近は豚牛鳥羊の種類を問わず、ひたすら肉食べてます。あと、動物性骨髄スープですね。牛骨は手に入りにくいのですが、豚骨・鶏ガラは手に入りやすいので、週末にまとめてスープにしています。美味しいですし。

スープの味付けがマンネリ化してきているのが悩みですかね。味噌・塩・醤油、中華風、キムチスープ...ぐらいしか選択肢がなくて...。お吸い物とか洋風にしてもいいのですが、ちょっとまだ私のスキルがついていかないです。

2015年11月5日木曜日

ケトン体代謝にな(慣)れました!

ケトン体代謝になっているのかどうかを確かめる一つの方法として、血中ケトン体濃度の測定があります。測定してみたところ、

2015年10月17日土曜日

私のアレンジ・ケトプロ食〜避けてる食べもの編〜

この世は炭水化物しか食べものがないのかと思うほど、糖質含有食品にあふれています、特にコンビニ。サラダチキンとシーチキンくらいですかね。あ、あとあたりめ。ビーフジャーキーは結構糖質は低いけど、しっかり砂糖使っていることも多いし。というわけで、私のアレンジ・ケトプロ食で避けている食べものをまとめてみました。

2015年10月15日木曜日

「理想の栄養」について考えることが私にとって最大の楽しみなのかもしれない

仕事はほどほどにして、インターネットにかじりついている日々を過ごしていました。サーフィンするのは「理想の栄養」に関すること。これが最大の楽しみと言っても過言じゃないんだけど、それにしては説得力のない体つきなので、もう少し絞りたいところです。体重はこれ以上減らしたくないですが...。

2015年10月14日水曜日

私のアレンジ・ケトプロ食〜食べているもの編〜

ケトプロ食と出会って数ヶ月...。そこまでストイックには実践できていないものの、小西先生が提唱するケトプロ食の考え方にはほぼ賛同しています。ですが、やはり今の社会だと実践しにくい場面があるのも事実。私なりのアレンジ・食事法を整理したいと思います。

2015年10月7日水曜日

権力争いに巻き込まれる必要はない、心の平穏は自分の考え方ひとつで必ず得られる

私の所属する大学にはあまり権力争いのようなことはなかった気がしていましたが、久し振りに権力争いに似た状況におかれました。さらに矛先は自分の方へ向かっていました。最初は攻撃的な言い方に驚きましたが、割とすぐに「この人は自分の正当性、私の不当性を明確にしたいだけだ、本題の解決を目指した話じゃない」と思うことができ、その後も私への攻撃は続きましたが、私の心は平穏そのものでした。おかげで、本題の議論に向けた内容に着目してお話ができたと感じています。

競争で消耗しない日が1日でも増えますように。

2015年10月6日火曜日

コストコでココナッツパウダーを買ってホットケーキもどきを作ってみた

パレオな男に憧れている私は、ココナッツパウダーを使ったホットケーキもどきを実践してみました。多少レシピはアレンジをしてますが。ざっくりしたレシピは下記の通り。
ココナッツパウダー50cc
プロテイン20cc
水は適量(50~100ccくらい)
ベーキングパウダー少々
お好みで:塩、はちみつ、生クリーム(水の代わり)、バニラエッセンス
一言で言えば、「味のしないボソボソのホットケーキ」ですね。よく言えば、癖がないので、食感さえなんとかできれば、普段から食べられそうです。どうしたらいいんでしょうね。溶かしたバターや生クリーム入れたしっとりするのかな。あ、パレオ的にはジャガイモやサツマイモなどを入れてもいいかもしれませんね。

2015年10月5日月曜日

やはりケトプロ食(断糖)と、ついでに断酒を実践してみた

無酸素運動には、グリコーゲンが必要で、そのグリコーゲンを補填するためには多少の糖質が必要と思っていたけど、萩原さんのFacebookを見て考えが変わりそう

2015年9月26日土曜日

パレオダイエット中に暴飲暴食してみた

旅行に行くことと数日間の休暇を利用した暴飲暴食をしてみました。アルコールと炭水化物を浴びるように食べる日が5日くらい続けました。案の定、体脂肪は3〜4%ほど上昇し、見た目も脂がのってきました。暴飲暴食をしながら、今までの体の変化を感じていました。今までは、

2015年9月19日土曜日

ケトプロ食の実践から考える「理想の栄養」とは

ケトプロ食を実践しなくなってから、丸2ヶ月くらい経ったでしょうか?今でも回転式本部の掲示板は閲覧しています。それは、小西先生の生き方に共感しているからです。小西先生は「変化」を恐れない人なんだと思います。おそらくですが、あと20年くらいすると少し違った食事法を展開されているのではないかと思います。目の前の治療対象としている人と向き合っている小西先生は、

2015年9月18日金曜日

ゆで卵よりもゆでた肉の方が身体の違和感が少ない

肉を酢醤油で食べると良いって話をしましたが、ゆで卵も調理しやすいしお弁当にもできるので、良く食べています。

食べた後の身体の変化だけで言えば、そのときたまたまそうだっただけなのかもしれませんが、肉を食べたときの方が身体の違和感が少ないと実感しています。もっと違和感がないのは、骨髄スープですね。

肉食べて、骨髄スープ飲んで、野菜と果物を食べる生活を続けてみたいな〜

妻の反感を買いそうですが。

2015年9月17日木曜日

パレオダイエットとケトプロ食の違い

パレオな食事を続けることで、ガンをはじめとする生活習慣病とは無縁の生活となるらしいが、ケトプロ食でも同様である。パレオな食事とケトプロ食の共通点は、旧石器時代の頃の食事を実践するというところ。しかし、その「旧石器時代の食事内容」の捉え方が違う。

ケトプロでは、旧石器時代の食事は糖質ゼロであったというのだが、パレオダイエットでは、旧石器時代も決して糖質ゼロではなかったとする見解を示している。私のシワの少ない脳みそでどちらが正しいのかを考えることはできないが、個人的には、「ゼロ」ではなかったと思っている。摂取食物のうち、20〜40%の範囲で糖質を食べていたという方が飢餓からも生き残れる確率が上がるだろうし、当時の木の実や果実には現在の品種改良でできた果物のように甘くもなかった気がする。

パレオダイエットでは、現在も狩猟採集民として生活をしている種族にも着目している。その種族のほとんどは生活習慣病とほぼ無縁の生活をしているため、ケトプロ食の目指すところと合致する。

しばらくは、パレオダイエットの考え方を頭に入れながら食事や生活をしてみる。

2015年9月15日火曜日

人にとっての栄養とは何か〜ダメな自分を栄養に責任転化する〜

最近のマイブームとなっているケトプロ食やパレオダイエットですが、私にとってなぜにそれほど食べものについて頭を巡らせているかを考えてみました。

2015年9月12日土曜日

「それって看護の研究なの?」という意味不明な言葉

看護系大学の人の多くは、卒業研究などで苦労している時期かと思います。私は、一応修士課程、今は博士前期課程というのが正式名称でしょうが、を卒業していますが、そのときの勉強が今の私にとって最も有益だったと感じているのが、

2015年9月10日木曜日

肉を「酢醤油」で食べれば、太ることなく食欲を満たすことができる

やっぱり、食べるものでこうも違うのかと、実感しました。太りたくなければ、この人の真似をすればいいんですよ。

2015年9月9日水曜日

自宅にいると食べてしまう

仕事をしていたり、休みの日でも何かしらタスクがあれば、自制がきいて1日1食でいられます。むしろ、そういうときは1食が便利だなと思います。

昨日は、息子が発熱したために1日家にいました。家にいると、

2015年9月8日火曜日

LOCOMOVE(ロコムーブ)を再開したい

2014年1月くらいから約3ヶ月間ロコムーブを実践していました。そのときに一番感じた身体の変化として、「足を上げるのが楽になる」でした。走ったりするときに、股関節がクルクルと回ってスイスイ進んで行く感覚がありました。再開したいところです。書籍も読み直そうかな。




2015年9月5日土曜日

ケトプロ食を実践した中で、最もためになったことは骨髄スープの存在

ケトプロ食(ほんの2週間程度の実践ですが...)で得た知識の中で、骨髄スープの存在を知れたことは、一番良かったことです。パレオダイエットでも、骨髄にはあまり触れられていませんですし。骨髄には、なんといっても豊富な飽和脂肪酸があることでしょうか。スープを作ったときにでるが、それを物語っています。圧力鍋で1時間以上煮込む必要がありますが。ソルロンタンなどは、その大切な脂肪を取り除いてしまっていそうですね。あの脂がうまいし、身体の栄養になるのに。
ネットで探しても、骨髄スープの栄養組成が出てこないんですが、うま味成分となるアミノ酸も豊富なようなので、タンパク源としても優秀かと思われます。牛脂と牛骨は、しばらく冷凍庫にストックしておきたいと思っています。

ケトプロ食の実践を継続するには至りませんでしたが、考え方としては賛成いたします。どんな食材であれ、糖質を含む食材を食べることによって、ブドウ糖として血中を巡り、体内に取り込まれることは確かですし、特に精製された糖質を摂ることは代謝を乱し、中毒性も高い栄養素なんだと思います。
ですが、狩猟採集民の研究によると、少なくとも病気になることとはそれほど大きな関連がないこと否めない状況です。人間の恒常性を最も引き出す生活のヒントが狩猟採集民の生活に隠れていると思ってしまいますね。何より、糖質を完全に断つような生活を今の現代社会では(少なくとも私は)継続することは困難でした。なので、パレオダイエットでも推奨されている、全体カロリーの20〜40%は糖質を摂っても許容範囲かなと思っています。もちろん、フルーツや根菜類をメインとして食べた方が良さそうですが。ただ、動物性脂肪やたんぱく質が人間にとって非常に有益な食品なことは間違いないようなので、バターやギー、骨髄スープや牛脂などを積極的に摂ることにはかなり賛同いたします。

2015年9月4日金曜日

めんどくさい話

息子が妻と3歳児健診に行きました。健診で、息子は名前や年齢とか答えなかったようなのですが、それを発達が遅れているかも、できたら臨床心理士に治療(のようなもの)をしてもらうのもいいかもしれない、という趣旨の話をされたそうです。妻は、息子ができるだけ傷つかないで(苦労しないで)過ごせるようにできるだけ早く対処した方がいいんじゃないか、と考えていると話していました。

2015年9月3日木曜日

スタンディングデスクを考えてみる

最近、座りっぱなしです。背もたれにがっつりよしかかって、PCに向かう毎日...。こんなんじゃはかどらないよね〜...と、仕事への逃避を長時間座位でいることのせいにしているのですが。

とはいえ、

2015年9月2日水曜日

チートデイを考える

パレオな男さんによると、それほど厳しい食事制限をしないのであれば、チートデイは週に2〜3度くらいあった方が良いのではないかということを言っています。

私の場合...

2015年9月1日火曜日

緩い糖質制限&1日1食をしていたあとに、1日3食&糖質とが食いをすると心身ともに病む

パレオダイエットを始めて、数日である程度の炭水化物は食べていましたが、出張などでどうしても食べなくてはいけない環境にいてしまったことなどもあり、1日2〜3食、炭水化物(しかもパスタや麺類)を食べてしまう日が続いていました。そうしたら、「もうどうでもいいや」という気持ちが強くなってしまい、少々やけ食いをしてしまいました。そしたら翌日、久しぶりにプチうつ状態。1年前の私なら、そのうつな気持ちから逃れようとさらにどか食いしてしまっていましたが、食べることで気持ちが落ちるのはわかったので、そこからいつもの1日1食に戻して、少し落ち着きました。

少々出張などのせいにしましたが、自分の中でもパレオダイエットのルールを明確にできていなかった部分がありました。総摂取カロリーの糖質割合は20〜40%だとすると、私の場合は糖質にすると、1日90gになります。おにぎりにして約2個分、パスタ1人前...。しかし、私がきちんと理解していなかったのは、糖質以外の食事に含まれる糖質。なんだかんだで、調味料などに含まれている糖質量で10〜20g積み重なってきます。それに、人参やらの根菜やフルーツなどを加えれば、立派な糖質量です。今まで通りの緩い糖質制限を続ければ良かったんだという考えにたどり着きました。

パレオダイエットで自分の概念になかったことは、「加工食品を避ける」という点です。つまり「食事報酬」ですね。加工食品には、その商品をもう一度買ってもらうための「加工」があり、それはヒトにとって大きな「食欲」を生み出すように作られます。それが強いと、極端な食事に移行してしまいます。セロリは大食いできないでしょ、という話です。

さ、今日はパレオな食事にしたいと思います。厳格なパレオダイエットなら、醤油や塩でさえNGなのかもしれませんが、化学調味料を避けていると、醤油もバツグンに旨く感じてくる気がします。焼肉のタレではなくて、塩や醤油で食べるとめちゃくちゃ旨いです。加工食品は、それだけ中毒性の高い食事になりがちなわけですね。

我が子も、家ではかなり食事報酬が高いものでないと食べなくなってきています...。バナナだけは今でも美味しそうに食べていますが、菓子パンとか大好きです...。どうしよう。


2015年8月29日土曜日

本格的にパレオダイエットを始めた

パレオな男にすっかり魅了されて、パレオダイエット実践しています。とは言え、炭水化物を少し許容したのに加えて、加工品を避ける、というところを取り入れた程度でしょうか。

開始した夕食の翌朝、いつもよりだるい感じがありましたが、22時頃に寝たにも関わらず、いつもは4時頃に目が覚めたあとは眠れないのですが、今日はいつものまにか眠っていました。二度寝した影響もあったのか、だるい感じはありましたが、たくさん寝れたのは、糖質制限していたときのような妙にハイな状態から免れたからでしょうかね。

私が摂取すべきカロリーは最低でも1650kcal程度の摂取が必要のようで、普段自分がどのくらい食べているかは、PFCバランスをざっくり意識しながら食べる程度です。先日食べたものとしては、鍋もつ鍋 (牛小腸 ・鶏ガラスープベース・ ニラ・キャベツ・豆腐・しいたけ)、豚コマ肉150g、ラム肉150g、白米150g、明太子二切れ、メロン数口、梨半個くらい、でした。これくらい食べて、感覚的にはもう食べれないって感じでした。2000kcalはいってないと思いますが…。ちなみにその日はお酒飲まなかったです。

16時間断食するっていうリーゲインズダイエットは前から取り入れていたので、特に意識せず実践していますが、1日1食を本格的に開始して、約9ヶ月が経過します。体重も大きな増減なく経過しているかと思いますが、いまひとつ、体脂肪率が安定しないのと、せめて15パーセントくらいに落ち着いてほしいのですが、それも未だ叶わぬ状況ですね。半年くらいで5%程度落ちたので、順調に落ちてきていると評価できなくはないですがね。食事ももう少し厳し目に管理しなくてはいけないかもしれません。週に3〜5日くらいは飲んでいますし、1日の摂取量もハイボールで換算すれば3〜7杯程度は飲んでますし、意識的に休肝日を増やす必要がありそうです。

恥ずかしい話ですが、うっすらと腹筋が見える程度の体脂肪率にしたいんですよね。もう少し希望を出せば、胸板もしっかりつける感じで。とはいっても、10数年暴飲暴食に近い生活をしていたので、この溜まった皮下脂肪はそう簡単には落ちないのでしょう。あと3〜5%くらい体脂肪を落とすには、さらに1年くらいかかるかもしれませんね。リブートダイエットの期間をもうければ、もう少し短いスパンで達成できるかもしれませんね。気長にいきますか…。

2015年8月28日金曜日

パレオダイエットがかなり気になっている

かなり論文をしっかり引用された素晴らしいブログに出会いました。

パレオな男

ヒトとしての機能が最大限に最適化される食事何かを考えられる、すごく魅力的なブログです。食事報酬の話が面白かったです。ブログ内検索できるので、ぜひご覧ください。勝手に宣伝してますけど。

2015年8月27日木曜日

チアシードはアミノ酸スコア100だが、発芽抑制因子を失活させる必要がある

チアシードをAmazonのセールのときに買っていたのですが、あまり食べていませんでした。が、久しぶりにバナナジュースにして息子に食べさせていたときに、ふと「アミノ酸スコアってどんくらいなんだろう」と思い、ネットで調べたところ、なんとスコアは100。ちょっと疑いましたが、信じます。

さらに懸念していたのが発芽抑制因子のこと。大豆とかも納豆や味噌などの発酵食品にしないと失活しないと言われている反栄養素と言われるもののことです。だから我が家ではすっかり豆乳はやめました。豆腐は週1くらいで食べますが。
チアシードも大豆と同じ種なので、その点は注意が必要のようです。しかし、玄米を発芽させるのとほぼ同じです。清潔な容器に10〜40℃くらいの水に12〜24時間浸しておくことで発芽抑制因子は失活するようです。ジェル状になるので、わかりやすいです。さっそく実践してみたいところです。
チアジェルにしてからは、加熱さえしなければどんな風に食べてもいいようです。加熱が推奨されていないのは、オメガ3系の脂が酸化されてしまうからだそうです。でも、鯖の水煮缶とかでもDHAは含有されてるっていわれているけど、それは酸化されているのとは違うんでしょうか?

2015年8月26日水曜日

高強度持久力系のスポーツには糖質制限とカーボローディングのハイブリッドが良い

ネットサーフィンで色々探った結果、タイトルのような結果になりました。私のように、多くても週に1回くらいしか練習しないようなスポーツ愛好者は、日常的に糖質制限、練習や試合の前後に糖質摂取、といった具合の食事法が良さそうです。そんな簡単に糖質代謝とケトン体代謝を切り替えられるものなのか不明ですが、体脂肪をコントロールするにはやはり糖質制限もとい高飽和脂肪酸食じゃないとできませんし、爆発力と持久力の両方が必要なスポーツはやはり筋グリコーゲンをしっかり補填しておかなければならないようなので、週に1.5日くらいはしっかり糖質とってもいいのかもしれませんね。一度でもケトン体代謝になっていれば、2日くらいしっかり糖質抜けばケトン体モードに移行してくれるでしょう。

糖質摂取のタイミングとしては、前日の昼食〜夕食で糖質摂取(200gくらい?)、試合のときは合間にも100gくらい取れると良いんじゃないでしょうかね。終了後も血糖値が上昇しないようですし、多少の糖質があった方が筋肉の回復も良いようなので、普通に食べてもいいかもしれませんね。

やっぱり血中ケトン体測定したいな...。

2015年8月25日火曜日

カーボローディングしないで無酸素運動を繰り返すと息がととのいにくい

先日の大会で積極的なカーボローディングをせず、数時間前に数十グラムの糖質を摂取しただけでした。そうすると、有酸素運動程度の負荷であれば問題なく続けられそう感覚を得られていたのですが、無酸素運動になる負荷での運動を繰り返すと、なかなかそこから息が整わない感覚がありました。これは、前回カーボローディングしていたときではあまり感じなかったことなので、やはり、無酸素運動、とくにそれを繰り返す場合には、しっかり体内にグリコーゲンを蓄えるようにした方がいいと感じています。

1日1食にしたり、ケトプロ食(もどき)を実践する中で、ある程度食欲をコントロールできるようになってきたと感じています。しかも、実践前は定期的に昼飯・晩飯でどか食いをしていましたが、ここ半年はそういったことも少ないなと思います。少なくとも、糖質をどか食いすることは減りました。ゼロだったと言い切れない部分がありますが、ほか弁の大盛りを2個食べる、といったことはなくなりました。

ある程度、糖質に対する中毒症状を抑えられてきたと思いますが、それでも糖質を含む食品はやはり美味いものです。世の中には糖質が含まれていない食品を探す方が大変です...。しかし、しっかり無酸素系の運動をするのであれば、前日に糖質をある程度摂取していた方がパフォーマンスとして良いので、一般的に食べられている糖質100g(白米約2膳分)くらいは良いのかもしれません。

そうなってくると、やはり運動でウェイトコントロールをしようとするのには無理があるのかもしれません。日々の体脂肪はケトン体代謝にすることでしっかりコントロールすることで、バランスがとれてくるのかもしれません。
ただ、まだ1カ月ほどしか実践していませんが、ケトプロ食でどこまで体脂肪率が落とせるのかが気になるところですね。

2015年8月22日土曜日

糖質制限と無酸素運動についての個人的見解

ケトン体優位の代謝ができるようになってきたので、スタミナが上がっているかと思い、特に運動をしていなかったのですが、かなりハードな運動を数時間続けてみました。やはり無酸素運動の割合が多い運動をしていると、後半かなりバテてしまい、最後はめまいや立ちくらみ、呼吸困難にさえ陥りました。

赤血球がブドウ糖を必要とする、と理解していたので、赤血球がうまく機能していないのかと思い、りんごジュースを200ccほど飲みました。塩分も摂取していなかったので、塩を舐めたりしていました。20分くらい経過しても、呼吸困難感はあまり軽快しなかったので、梅干しをたべたり、ポカリスエットを少量ずつ飲んだりしました。1時間くらいして、回復してきて、食欲も出てきたので、うどんや蕎麦をたくさん(笑)食べました。

その翌々日に、試合があったので、同じような症状になるのは怖いなと思ったので、オニギリを2個ほど食べたりしたところ、前回ほどの運動量ではなかったにせよ、同じような症状にはならず、大丈夫でした。むしろ、動けていたように感じています。

このことがあって、無酸素運動と糖質制限の関係を知りたくなり、調べました。江部先生のブログ検索では、ケトン食と無酸素運動の論文についてなどの記事があり、糖質制限によって有意差が出るほどの変化はなかったが少し能力は落ちた、といった結果だったようです。

私がケトン体優位の代謝になりきれてない可能性は非常に高いのですが、やはり、無酸素運動と有酸素運動の両方の負荷が高い運動の場合、グリコーゲンじゃないと筋肉はその実力を発揮できないのではないかと思います。江部先生のブログにもあった気がしますが、もともと人間は、無酸素運動のような負荷の高い運動を続けるようにはできておらず、数十秒の負荷を数十回耐えられればいい程度のグリコーゲンが体内にあれば良いくらいのものなのかもしれません。鍛えることで、ある程度はグリコーゲンを体内に保有しておける能力が上がったり、鍛える前は無酸素じゃないとできなかった負荷が有酸素でもできるくらい強くなる、ことなどがあり得るのかもしれませんが、やはり無酸素運動には人為的にカーボローディングが必要なのではと思いました。

逆に言えば、身体のグリコーゲンが空っぽになるほどの無酸素運動を継続しようとする際は糖質を取っても良い、となるかもしれませんね。

2015年8月15日土曜日

ケトプロ食で1日1食を実践すると身体と心が楽

ケトプロ食、という言葉の中に「1日1食ではない」という意味が含まれているのであれば、正確な表現ではなくなってしまうかもしれませんね。「PFC比率」は小西先生ならびにKen先生の意見に賛同している、という意図は伝えたいです。つまり、たんぱく質の摂取量をそれほど積極的にする必要がない、という点です。私の場合、たんぱく質は80〜100g、脂肪は180〜200g、目標カロリー2000kcal程度摂取すれば十分な計算になります。それを実践すると、下記のような食事になります。

肉(牛、ラム、豚)150g
卵3個以上
動物性脂肪100〜150g

この、動物性脂肪150g摂取するのが結構大変そうです。チューブで売っているラードが250gなので、それの1/3程度でしょうか。では、動物性脂肪をどんな食材で食べるか考えてみます。

バター
ラード
牛脂
骨髄スープ
生クリーム
(チーズ)
(レバー)

ネットで調べたところ、上記のような選択肢になりますね。チーズとレバーはたんぱく質の比率も高いという意味で()にしました。

慣れないと、動物性脂肪の摂取量を確保できない傾向が強いですね。そういう意味でも霜降り肉が楽なんでしょう。骨髄スープには挑戦できたけど、牛脂の購入も検討してみようか。

2015年8月14日金曜日

3歳になった息子は糖質中毒?

息子は、甘いものが大好きです。バナナ、メロンはもちろん、甘いお菓子...お腹空いているときはアザラシみたいにバクバク。

そんな息子に糖質制限してみようと思いましたが、なかなか難しいですね。誰かに飴もらったり、機嫌取るのに、その場にあったチョコをあげてしまったり...。それでも、昼以降は生クリームの牛乳割りだったり豚肉のラード炒めふりかけ付きをあげたり。その後はリッツとメロンを食べていましたが、夜になって「ごはん食べたりな〜〜〜」と、珍しい言葉をしゃべっていました。食べる量の問題なのか、糖質の問題なのか。

母乳と同じ、全体の4割は糖質があって良いと思いますが、きちんと飽和脂肪酸を食べてもらいたいなと思いました。

2015年8月13日木曜日

やっぱり1日1食にします。今度は動物性脂肪比率を上げます。

言うことがコロコロ変わっていますが、やはり骨量が低下したのは1日1食が悪いのではなく食べていたものが悪かったのでは、という考えになりました。しっかり糖質オフにして動物性脂肪を食べていなかったことが原因かと思われます。

数日の間、1日1.5食にした程度だったので、それほど大きな変化はないかと思いますが、また断食するつもりで1日1食にしてみようかなと思います。その方がお財布にも優しいですし。

1日に食べる量を「牛肉200g・卵3個・骨髄スープ or チーズ少々」とすると、牛肉は100gで300〜500円くらい、卵1個20円くらい、チーズ100gで200円くらいで計算しますと、1日700〜1000円ちょっとくらいの食費で済むことになります。少し高めに見積もっているので、500円でも何とかなる日があると思われます。月の食費もそれほど高くならないのでは。たくさん食べようとし過ぎなのかもしれません。

というわけで、エコで健康的な食生活を目指して、緩やかにスタートしていきたいと思います。

2015年8月12日水曜日

「いのちの循環型、自給自足生活」って可能か?

ケトプロ食が人類にとって最も適切な食事だとすれば、「ケトプロ食を自給自足」したいなと思い始めた。常識離れした考えかと思うけど、やっぱり「生きる力」が強いのってお「金を稼げること」じゃなくて、「生活できること」だと思い始めました。そしたら、自給自足できるとカッコイイ、じゃあ健康に自給自足するためには、「家畜で自給自足」をするのがいいのではないでしょうか。

アウトドア的なことは、未経験ではないけど、ほとんど実践したことがないです。そんな私なので、想像力が皆無です。なので、今のところ「家畜で自給自足」はすごく「楽園」的なイメージをしてしまっていますが、そんな想像力の乏しい、元看護師で今はしょぼい大学教員が考える、「家畜で自給自足」を検討してみます。

1.飼いたい動物のメインは牛

牛ですよね。やっぱり。皮から骨まで捨てるところがなさそうです。お乳とお肉と両方得られるようにしたいですね。次に鶏です。卵はやっぱり欲しい。余力があったら羊や豚、ヤギなんかも良さそう。

2.場所は広くて、できたら海に近いところ

牛って、繁殖させることを考えたらどのくらいの群れ?で飼うのがいいのかもわかりませんが、東京ドーム10個分(がどのくらいの広さかもわからないけど)とかの広さが必要なのもかもしれません。あと、海が近いのってダメなのかな?たまに魚も食べたいし、漁師さんと物々交換も兼ねて、海の近くがいいなと。

3.水道・電気は欲しい

電気は自家発電できる時代になってきていますが、水はやはりいのちの源。水道は欲しいですね〜。ガス・灯油も、火を起こせば何とかなるんじゃないかな。たぶん。もちろん、今の私には無理。

4.住居は床暖房

韓国に「オンドル?」だかっていう床暖房が多いようです。なので、火を絶やさなければ家を床から暖かくなる住居を手作りしたいなと思います。どうやって建ればいいかという知識は全くありませんが、妄想するのが楽しいです。煙が回るようにすればいいんですかね?

5.牛の屠殺技術を身につけて、供養ができる

忘れてました。牛を育てても、食べられるように加工しなくてはいけません。有難いいのちで生きられているのですから。牛の屠殺って大変そうですが、牛1頭で1カ月は食べられるという話も聞いたことがあるので、1カ月に1回という感じでしょうか。いや、今さらっと調べた程度ですが、牛1頭は300kgほどあるようなので、1日1キロ食べたとしてもほぼ1年もつ...。保存をうまくやればいいのかも?

6.保存食を活用できるようになる

前項でも話題になりましたが、やはり急に供給がなくなることも大いにありえる。そんなときにも冷蔵庫もなく食べられる(できれば美味しく)保存食があれば、と思います。できれば丸1カ月はもつくらいの量を保存できればいいのでしょうかね。

7.物々交換(お金を含めた)ができる

生活をする上で、最低限度の服や食器は消耗品ですので、そこは自給自足するまで手が回らないと考えると、それらを作るのが得意な人との購入もしくはお金が必要になってくると思われます。

8.天災に対してどうするか

これは考えても仕方がない部分はありますが、それこそ海の近くに家を構えることのリスクは大地震での津波など考えられますが、それらはサラリーマンやっていても同様でしょうか。むしろ、サラリーマンやってるときよりもサバイバルに慣れていることを考えれば、むしろ安全なのかもしれません。

まとめ

色々あたまの整理のために箇条書きしてみましたが、やってみないとわからないかもしれないと思いつつ、色々考えること自体が少し楽しかったりします。

2015年8月11日火曜日

回転式の小西先生の生き方に強く共感

最近は、回転式本部の掲示板をよく見ています。いろいろな意味で注目を浴びている掲示板がゆえに、感情的な書き込みをする人もいるんだな〜とは思っていましたが、それに対する小西先生の対応に、すごく共感しました。

小西先生の言った内容の私の捉えは、「選択は人それぞれ。もしかしたら私も間違った選択をしているかもしれないが、間違うことはダメなことじゃない。議論をしたいときは感情に着目せず、論点を明確にしていきましょう。私は自分が納得したことを実践します」といった内容だったと思います。

その文章を読んで、何か、とてもいい気持ちになりました。私も一般的に受け入れられない考えをもつ傾向が強く、特に最近は自分の選択を大切にするようになってきたこともあり、人から嫌われることや共感や承認を得られない場面も増えてきていますが、それでも、あくまで自分は(それなりの根拠があって)そういう選択をしている、それによって人の価値は決まらないという考えを持っていたので、小西先生に自分の考えを後押ししてもらった気分になりました。

2015年8月7日金曜日

ケトプロ食中に糖質中毒症状...

先日、グンちゃんに飲みに行ったのですが...主食系を食べなければ、確かに外食でもそれなりのケトン比の高い食事ができるなと思いますが、なにせ、動物性脂肪が豊富なメニューが少ないですね。グンちゃんはサムギョプサルがあるからと思ったのですが、値段もそれなりに高い(私にとっては)ので、そればかり食べるわけにもいかず...。結局、主食系は冷麺とオムそばを少々食べましたが、糖質量的には80gくらいだったかと思います。

しかし、どうしても主食は食べないようにするものの、ある晩飯のメニューは、からあげ、カレーの手羽元煮、焼きそば少々など食べてしまい、糖質150gは食べた気がします。

そうなると、その翌日はかなり糖質への欲求が強くなってきてしまっています。昼はチーズに生クリームの牛乳割りなどでごまかすのですが...。久々に麺類食いたい衝動にかられました。ま〜そこまでストイックになる必要もないのかもしれないんですが、今週末はドガ食いデーなので、控えようかと。

それにしても、一旦糖質量増やすと、次から次に欲してしまうようですね、身体は。そういうときはもう断食するつもりで何も食べないと心に決めて過ごす方が、今の私には良いのかもしれません。身体はケトン代謝にシフトした経験があるはずですから、それほどビックリしないでしょう。

てか、もうすでにケトプロ食とは言えない食事になっていますね...。週末に牛骨届くので、それで来週は過ごします。

2015年8月6日木曜日

断食からケトプロ食へ移行すれば、糖質中毒症状に悩まされない

あくまで私、の場合ですが。

先日の記事でも書きましたが、断食することで、食べないことが普通になり、体はケトン体代謝になると考えられます。食べることへの欲求、正確には「血糖値が上昇することによって得られる快楽」を捨てられ、食事に対する欲求が薄れます。その段階から糖質制限ならびにケトプロ食に移行すれば、血糖値が上がらなくても満足感は高いのかなと思います。

みんながみんなうまくいかないと思いますが...。

私は、自分であまり苦痛なく「糖質に対する欲求からの離脱」ができたかなと思っているのですが、それは長い年月があったのかもしれません。

20歳頃から、西式健康法の関連書籍を読み、朝食を止めました。同居していた両親も一緒に始めたので、初めは多少目が回る感じもありましたが、1週間くらいで慣れました。その後も朝食抜きがスタンダードになり、初めのうちは痩せましたが、5〜6年くらい経ち、朝飯食べなくても太りましたね。身体も慣れたのかもしれません。もちろん糖質制限なんて言葉もそのときは知りませんでした。肉を多めに食べることはありましたが、主食類を制限するなんて、当時はありえませんでした。麺類大好き人間だったんで。もちろん、今も好きですが、当時は1日1麺くらいの生活でした。
それから2年後くらいに、ダイエット法を探していたら糖質制限に出会い、昼食をプロテインだけ、のような形にしてみました。数週間は続いたと思うんですが、途中でプロテインの味に飽きました...。その後はときどき糖質制限を試みるも、満足感のない食事に辛さを感じて断念する、といったことを繰り返しました。ただ、そのときは「ひたすらたんぱく質を食べる」感じだったんですね。今考えると、血糖値が上がらない上に脂肪による満足感もないから辛いに決まってるし、身体にも負担だったなぁと思います。
そこから1日1食に関連した書籍に出会い、アミーチョサロンに出会い、飽和脂肪酸の大切さに共感し、食べるアブラ選びについても書籍で学びました。そのときも、MEC食の実践だったので、あまりケトン比は高くなかったのかなと思います。1日1食も並行していたので、3カ月くらいで7キロくらい落ちましたが、同時に骨量も減り...そして、小西先生のケトプロ食に出会えた、という感じですね。

どうでもいい話で長くなりました。

ともかく、バターか生クリームをたっぷり食べれば体脂肪は落ちるんだなというのが私の実感です。もっと摂取量を増やした方がいいのかもしれませんが。

2015年8月5日水曜日

1日1食を半年継続したら骨量が減ったので、ケトプロ食に変更しました

1日1食にしつつ、少しずつ糖質制限に移行してきている今日この頃ですが、小西先生のケトプロ食に触発され、1日1食をやめました。食べたい時に食べることにしました。1日1食にしても、体脂肪もそれなりに減りますが、筋肉量も骨量も減っていました。体調こそ良かったですが、それは身体がケトン体代謝にシフトできたことによる効能かなと思います。もし1日1食を続けていても、体調の良い時期は長くは続かなかったと思います。

最近は、毎日ではないものの、平日はケトプロ食を意識した食事です。妻には今のところ、あまり共感を得られていないので、不満を言われることも多いですが、主食類は食べないというところで今のところ落ち着いております。

ケトプロ食実践後、1週間くらいしか経過していませんが、体重が変わらないのに体脂肪が下がるという嬉しい変化が続いております。朝は相変わらず、ほとんど食べませんが、空腹感があれば生クリームの牛乳割りを少々。昼食は生クリーム100mLの牛乳割りとチーズとバター20gという日々で、夜はフルーツを少々食べることもありましたが、大雑把な計算で糖質摂取量50g以内といったところでしょうか。

今のところ、バターを大量に食べる気になりませんが、スープに入れたり卵焼きに使ったりする分には違和感なく50g程度は食べられます。

個人的には、生クリーム、ホントうまい。生クリームの牛乳割りはしばらく続けられそうです。

今週末、牛骨が届くので、週末にスープをストックできそうです。

2015年7月27日月曜日

ケトプロ食を実践予定

こんなHPを見つけました。
http://www.kaiten.jp/syokuji/butter.html
食事に対する考え方は、アミーチョサロンと似ています。こちらはもっとバターに注目している感じですね。

どうやら、ケトプロ食では断食を定期的に継続することをそれほど推奨していないのようですが、ケトン体体質にするための一つの手法としてはまったく反対しているわけではなかったようです。たぶん...。

今回のプチ糖質制限断食で糖質中毒からまた少し離脱に向かえると考えると、今週からまた糖質制限&高飽和脂肪酸食を実践してみたいなと思います。個人的には、お酒飲んだときに〆る気持ちを抑えられれば、お酒を続けつつ、糖質制限も実践できるのになと思う今日この頃ですが...。

2015年7月25日土曜日

プチ糖質制限断食のおかげで糖質中毒からの離脱?

どうしても、週末の空腹感は発生しておりましたが、プチ糖質制限断食をした結果、ケトン体をうまく使えているのか、苦しくなく過ごせました。昨日(今日)は0時〜朝4時まで飲んでいましたが、断続的な4時間ほどの睡眠でも昼以降にそれほど眠気を感じずに過ごせました。アルコールはビール2杯とハイボール1杯と焼酎1杯と日本酒1合で、飲んでた際のツマミは、パスタなど少量食べましたが、低糖質だった記憶です。量もそれほど食べていないのですが、空腹感など感じずに過ごせました。あと、いつもなら〆を食べたくなるのですが、食べずに就寝できました。正直言えば、ちょっとコンビニに寄りたい衝動にかられましたが、それほど気持ちが傾かなった、という感じです。

1日1食を継続していたことで、空腹感にも慣れ、ケトン体に切り替わりやすい身体になっていたのではと思います。その上で、断食するつもりで、つまりは満腹感と満足感を食事に求めないという気持ちで食事に臨む(笑)ことで、苦なく取り組めたのではないかと思いました。昼前にはバター卵スープをいただきました。

2015年7月24日金曜日

断食するつもりで1日1食糖質制限

断食の効果を検討中です。今まで、糖質制限食は継続できていませんでしたが、1日1食は非常に快適だったので、続けていました。というか、自然に食べなくなっていました。週末とかは食べてしまいますが。それでも昼食の時間に少量食べる程度です。で、私の身体は1日1食に適応した身体にはなったのだと思いましたが、おそらく、ケトン体を有効に使える身体にはまだなっていないのではと思い始めました。そこで、断食するつもりで糖質制限食をしてみようと思い立ちました。今までは、夕食への満腹感と満足感を求めていましたが、その気持ちを捨て、断食しようと思いましたが、好転反応も危険な場合があるので、少食にしてかつ糖質制限食にすることにしました。お腹いっぱい食べるわけではないけど、断食するつもりで一昨日と昨日の2日間の夕食を糖質制限にしてみました。
結果は、左のグラフの通りです。体重はあまり落ちず、体脂肪は多少落ちた印象です。断食するつもりで臨んでるので、血糖値上昇による満足感を得られずとも、それほど苦ではありませんでした。また、今までは、1日1食だし、しっかりたくさん食べなきゃ、みたいな気持ちがあったのですが、それもなくしていたので、糖質制限された食事が多少少量でも気にせずに食べることで、それほど危機感のようなものもなく過ごせました。
週末なので、今日は普通食に戻してお酒も飲んでしまいそうですが、平日にまた再開できたらなと思います。

2015年7月23日木曜日

アドラー心理学を大学での看護教育に生かすのは困難...

まだまだ不勉強ですが、アドラー心理学を基本とした学生への関わりを大切にしてはいますが、今疑問に感じていることがあります。

「間違い」を指摘するにはどうしたらよいか、です。

教員側として学生に「こうなって欲しい」といったことはたくさんあります。しかし、それが勇気をくじくことにつながらないのか、という側面に注意する必要はあると思われます。だからといって、何も言わないでいると、私のように冷たい言葉をもらうことにもなります。別に、普通に普通に言えばいいのかな?こうした方が良かったんじゃないか?というような言い方で。

常に自分がどうするか、が求められるのがアドラー心理学ですよね。やはり厳しい心理学です。ただ、課題の分離ができれば、学生がどういう学びをするかは学生次第、というように考えてもいいのかもしれません。今の大学教育はしっかり看護師免許をとらせることが求められているので、そういった意味では教育制度自体が課題の分離をできていないのかもしれません。

2015年7月19日日曜日

辛い現実

辛いことがあると、環境を変えてみたくなります。
きのくに子どもの村学園http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php
を見つけました。サドベリースクールと概念が似ているのかなと思いました。「常識」では、社会に馴染むことが求められますが、そもそもその社会に疑問を持つことがあれば、無理に従う必要はないのでしょうね。

みんなが協力して生活し、かつ多様性を認められる社会は不要なのでしょうか。正義と悪、はそんな簡単に線引きできるものなのでしょうか。改めて、人としての価値を考えたくなります。継続することは辛いこともありますが、楽な側面もあります。今の社会的責任から逃げる、という側面もありますが、社会的地位を捨てるという側面もあります。自分が今何をしたいのか、誰のために何ができるのかを考えることが大切かも。

タイトルで「まだ競争で消耗してるの?」としていますが、私も十分競争で消耗していますね。みっつさんの言う通りです。普通であることを捨てられないんですね。ただ、私はそれを捨てたときにどうするかを少し考えています。これだけで0.001歩くらいにはなっているかと思います。

今年、自分にとって挑戦の年にしたい、と漠然と思っていました。ある意味、挑戦はできていると思います。アドラーの考えを基礎とした、人との関わりを日々考えることができています。これは本当に楽しいことです。不安になることもありますが、トライできているなと思います。難しいのは、自分とは違う考えを持った人にたいして否定的な感情を持たずに、多様性を受け入れてコミュニケーションをとることができていない点が気になります。「自分が正しい」と思いたいのかもしれません。私にはまだ、「自分の芯」のようなものがないから、「正義」にすがりつきたいだけなのかもしれません。芯がなくてふにゃふにゃなのも、いろんなものを包み込めていいかもしれませんが。


2015年7月18日土曜日

悔しい想い

確かにこちらにも非があったのは重々感じていますが、こちらを屈服させるような話し合いに何か有益なものは生まれるんでしょうか?こちらの言い分を理解しようとしない姿勢は、建設的なんでしょうか。こちらを反省させることがあなたの目的なんでしょうか。私が反省すればあなたは満足なんでしょうか。同じことが二度起こらないようにするための対策はそのような議論で導き出されにくいのではないでしょうか。こちらはただただあなたへの否定的な気持ちしか生まれないです。

でも、こんな感情が生まれるのも私が未熟なのでしょうね。あなたがどんな態度を取ろうと、私は自分の人生の課題へ取り組むべきだったところを、自分の意見を言わずに逃げ出してしまったのですから。全ては自己責任。厳しい心理学だぜ、アドラー先生。

2015年7月15日水曜日

1日1食は継続しているが、肉卵チーズ食を継続するためには「食事への満足感」からの脱却が必要かも

1日1食はホント楽です。約24時間に1度しか食べなくても、身体に異変が起きませんので、食べた後の倦怠感などがなくて、楽です。ただ、休日は心身がリラックスしてしまうせいか、つまみぐい的に食べたり、お酒も飲んでしまうために食事量は増えてしまいます。食べた後にだるくなれば昼寝をすればいい、という気持ちあるため、食べる気持ちに拍車がかかります。やはり食事って暇つぶしなんだなって思います。

1日1食による体重の変動は落ち着きました。体重や体脂肪率は糖質摂取量およびアルコール摂取量に依存して増加する印象を受けます。あと、食べる時間が21時以降でも増加する気がします。糖質摂取量に依存して、体脂肪率も簡単に上昇します。やはり、主食として糖質を摂ることは身体のを酸化させ、良好な代謝を阻害する気がします。食べた直後は満足感(満腹感ではなく)で満たされるのですが、身体は喜んでいない感覚があります。こういった感覚は、プラシーボ効果的な感じで、自分の心持ち次第な気もしますが。

なので、肉卵チーズ食は継続できていません。ただ、卵をしっかり3個以上食べて糖質を控えめにすると体調が良い気がします。あと、チーズを食べ、肉を200〜300グラム食べて、卵を食べると、もう満腹感のようなものは得られますが、満足感が足りずに糖質に走る傾向があります。この糖質への中毒症状のようなものから離脱できれば良いのではないかと思います。自分の胃腸が満足する量の肉などが食べられれば、十分なように心身を慣れさせれればいいのではないかと感じています。1日1食にしたことで、ある程度好きなものを食べても体重が大きく増えていかないので、安心して食べてしまっているのもありますし、以前にこのまま体重が落ちすぎてしまう感覚があったので、少し好きなように食べていましたが、あまり積極的に食べなくても、身体(というか心?)はそれに順応してくれるのかも、と思いました。

食事による満腹感や満足感への「執着」を捨てることができれば、体脂肪率1桁もありうるかもしれませんが...。見た目が虚弱になりそうな場合は都度調整が必要そうです。

2015年7月14日火曜日

「やる気が出ない」ときは、「取り組まないための原因」に着目している

一般的に浸透しているのは、今の私が「仕事が忙しくて心身とも疲れてるから少し休もう(と思ってもいいだろう)」といったことを「原因」として取り上げ、「人生の課題」へ取り組むことに消極的になっている状態を「やる気が出ない」としているだろう。

しかし、上記の「原因」は本当の「原因」ではなく「影響要因」の一つであるはず。その「影響要因」によって私の「目的」は「仕事に対して消極的になる」ことになった、ということである。あくまで、自分はそれを「選択」したということである。これは自分にとってかなり厳しい側面を持っていると思う。なぜなら、ほとんどの場面が自己責任となるからである。

例えば、子どもを保育園へ連れて行くときに、スムーズにいかずイライラしている自分がいるのだが、そもそも、子どもが積極的に朝自分で行く準備をして、トイレに行って、御飯を食べて...というのは、親側の「理想」を押し付けている状態。それを「原因」にして「イライラする」という選択を私がとっている。他の選択肢を知らないがために「イライラする」選択肢を選んでいる。

というのが、私の今の「目的論」の理解である。これを考えていて思うのは、かなり「自己責任」の占める割合がほとんどであると感じられるため、結構窮屈な気持になる。それこそ「自己受容」できていて自分に自信がある心理状態じゃないと、ついていけなくなりそう。

それでも、自分という存在そのもの価値を感じられ、0.01歩でも前に進むために取り組められていることに「貢献感」を感じることができれば、「自分自身を勇気づける」ことが可能なのかもしれない。いや、岸見先生としては「絶対に可能」ということなのだろう。

2015年7月13日月曜日

岸見アドラー心理学は、人を操作するための科学ではない

基本的に、人を操作するものであってはならないのです。岸見先生の本をまた買いました。


嫌われる勇気より、少し具体的に書かれている印象です。この本を少し読んで改めて思ったのは、人を操作するための手法であるべきではない、という点です。あくまで、自分が対人関係から自由になるための手法であるべきだということだと思いました。

子どもと日々生活を共にしていると、生活する上で必要な食事、排泄、清潔に関わる行動を促すのに苦労します。嫌われる勇気を読んで1年くらいが経過しますが、もうすぐ3歳になる息子と、どうしたら対等な関係になれるか...を目標にしていたつもりでしたが、いつの間にか私は、息子をいかに自分の思い通りに動かせるかを考えてしまっていました。できるだけぐずらずに目的の行動に促す、それがうまくいけば「ありがとう」と言っていました。それでは「褒める」と一緒だということに気づいた気がしました。「褒める」とは「自己中心的な行動そのもの」だと思いました。まずは子どもが存在していることそのものに注目し、感謝したい。その上で子どもの選択を見守れる「技術」を私が身につければ良いわけです。その「技術」の選択肢が私は少なすぎるんだと思いました。3歳といえど、「理屈」があった上で自分がこうしたいという表現をしていると思います。その「理屈」を信頼し、見守りたいです。

病棟実習で学生と関わるときも同様です。学生は今までの生きてきた積み重ねを駆使して、常に自分で「選択」して行動しています。それを信頼したいです。私自身、実習病棟で指導を担当いただく看護師に対してのアピールとして学生をきちんと指導しているように見せる「自己中心的な行動」はとりたくないです。患者の生命に関わったり、病棟の業務に支障をきたさないレベルでの線引きは難しいと感じていますが、学生には指導担当看護師や教員に「ウケがいい行動」を促すのではなく、「論理的・科学的・合理的」に考えた上での選択ができるような関わりが、教員に求められているんだと思います。「論理的・科学的・合理的」を「賞罰」を介して伝える必要な皆無です。むしろ、「賞罰」が最も思考を遮断しています。

偉そうに書きましたが、今思うところを整理してみました。

2015年7月8日水曜日

アドラー心理学と看護臨地実習

実習では、というか看護師の仕事というのは、常に減点法なのではということを痛感します。特に実習では、できないことをツッコまれまくりで、自信が持てなくなる学生も少なくありません。「自己受容」がしっかりできていないと、学習に取り組む以前の問題になると思います。「自己受容」、似たような言い方であれば「絶対的自己肯定感」ですね。まずは「自分が存在していることの価値」をしっかり持っていないと、困難な課題に取り組むのにはかなりしんどい思いをすると思います。ぜひ、自信をもってください。...と自分にも言い聞かせる。

2015年7月2日木曜日

「嫌われる勇気」を実践することの苦悩

「嫌われる勇気」では下記のように述べられている。
自らの生について、あなたにできるのは自分の信じる最善の道を選ぶこと

これって、かなりの苦痛を伴うものです。「自分の責任」という言葉が重くのしかかる。「深刻」になってしまうのではないでしょうか。一方で、自分の価値はまず存在していることそれ自体にあるべきという考え方も述べられている。

何をもって「最善」と考えるべきなのか。それが一番問題のかもしれません。「善悪」で捉える必要がないとすれば、では「最善」とは「バランス」でしょうか?

仕事が自分のキャパシティーを超えていたときには、どのように捉えることが「正解」なのでしょうか。「正解」を探そうとすることがすでに「競争」に足を踏み入れていることになるのかもしれません。

競争で消耗しているのは、私自身なのかもしれません。

まずは一歩を踏み出すことでしょうかね。

2015年6月25日木曜日

成長ではなく「表現」を大切にすることは、看護師養成課程にとっても重要だ

久々にイケハヤさん哲学が聞けてよかったです。
「成長する」のではなく、「表現する」を大切にしよう

看護学部だけではないでしょうか、看護師は「成長」を求められます。もう少し正確に表現するならば、「病院のルールを正確に実行していくれる人材となることが成長」ではないでしょうか。少し嫌味がこもっているかもしれませんが。

しかし、病院のルールとは逸脱した、もしくは看護学部&実習生としてのあるべき「理想像」から逸脱した考えを「表現」しようとすることは「成長」とみなされません。

私も、この少ないアクセス数のブログで「表現」できていることは、かなり「自分の人生を生きている感じ」に寄与している気がします。

今の看護学部の教育は「専門職大学」であり、学生にはこちらの価値観を押し付けてしまいます。「正しい(と思われること)の押し売り」です。その価値観の押し付けを日々行われた結果、「正しい」看護師もできあがるかもしれません。でも、その「正しい」看護師は「表現することを失っている」可能性も非常に高いです。「本当に正しいことってなんだろう」と考えることをやめてしまいます。「自分ってダメだけど、自分は正しいことをしているんだ」という気持ちだけで生きて行く。私にとっては苦行そのもの...。週2くらいなら看護師として働けるだろうけど...、現場での実践となるとある種の「鈍感力」がないと働けないですよね。だって、よく考えればそれってよくないかも、みたいなことにも、病院がGOと言えば、そのことに加担することになるわけですから。

時間切れになりました。「表現」したりない。

2015年6月17日水曜日

勇気づけることと、自由になることとの関係

勇気づけられている状態とは、「他者は仲間だ」という気持ちが持てて、かつ「自分には能力がある」と思えていること。

ここで大事なのは、あくまで「自分でそう思う」かどうかの選択ができているかどうかだと思います。他の誰かから「みんなあなたのこと仲間だと思っているよ」とか「あなたの能力を評価しているし、あなたがいてくれてありがたいと思っているよ」と「評価される」ことではありません。

非常に難しいことですし、自己中心的な発想のように思えるかもしれませんが、「課題の分離」の視点で「他者の思考は操作できない」と考えると、「評価される」ことを目的とすることが自己中心的な発想と考えることができます。

あくまで、自分が「他者は仲間」で「自分には能力がある」という気持ちのまま、ライフタスクと向き合うことが大切だと思います。その過程で、誰かに否定されたり失敗したい悲しんだり怒ったりすることはあるかもしれません。そんなときは、おもいっきり悲しめばいいわけです。

「嫌われる勇気」を初めて読んだとき、私は「心が楽になる」ための方法を探していました。今思うと、本質的に「心が楽になる」ためには「自分の生き方を貫き通し、自由になる」ことではないかと思い始めています。そんな生き方をしたとしても、むしろそんな生き方をしているからこと、「存在していること自体に価値がある」ことが私の支えとなります。

今日も生きています。まるもうけ。

2015年6月16日火曜日

今、この瞬間からきっといい日になる

仕事でうまくいかないことが多かったり、失敗したり、自分のキャパを超える様な仕事量のとき、自分がダメな人間だと思ったり、自分のいる周囲の人的・物理的環境を非難したりする傾向が強くなります。
ネガティブな考え方に聞こえるかもしれませんが、「どんな悪いことをしても、良いことをしても、"存在していることの価値"という視点から考えると、人間としての価値の差はまったくない」と言えます。バガボンドで宮本武蔵が天から地上を見たときに俺もお前も同じだ、みたいなことを言っていたときから、この考え方は自分の中で違和感がないです。
大事なことは、過去の功績による人間の価値ではなく、これからどうするかの一歩を踏み出そうとしているかしていないか、それに尽きると思います。今、この瞬間からいい日にするために、今日も楽しく生きる。

2015年6月12日金曜日

「執着心」にとらわれないことは、豊かさの一つの要素でしかない

執着してますか?自分の社会的立場、収入、健康etc...。執着することは「悪」という意味づけをすると、「正」としての対義語は「大切」なのかな、と思います。例えば「妻」を大切に思うのはいいが、執着すると憎しみが芽生える、といった感じでしょうか。

私は、「執着心」にとらわれないことこそが豊かさであると考えていました。しかし、当たり前ですが、それは条件によって変わってくるのだと思いました。ホントに当たり前の話ですが、痛風で痛みが強いときに健康に執着しないわけない、ということです。

豊かさを感じることは、住む場所とか気候とか物理的な条件や経済状況など、たくさんの要素が絡み合って生まれるものですよね。つまり、豊かさの感じ方なんて人それぞれで、豊かさに真理なんてない、ということです。

豊かさは条件によって様々に変化するんだなとつくづく思いました。

自分にとっての豊かさって何だろう、と考えることでいいわけですね。その考えを誰かに押し付けることは、豊かではないでしょうね。

やはり、今こそ誰かに批判されようと「自分はこうするんだ」という決断で自分は動いているんだ、という感覚が必要なのでしょうね。

2015年6月7日日曜日

対等な人間関係を目指して接していると、見下す学生がいる...

これ、辛いものです。ある程度はしょうがないと思っていましたが、実習など、接する機会が増えると、どうしても辛くなる。

最初、学生からバカにされたときの今の私の心境は、まだ対等な関係が築けていないことの証拠なのかも、などと考えていました。でも、これはこちらが対等な関係を築けていたとしても、相手が対等と感じていない場合に生じることなのでは、と思うようになりました。

そのような接し方になる学生に対しては、ある程度距離を置こうと感じています。ちょっと消極的な考え方ですが、課題の分離を考える上では、大切な行動なのだと思うようにしています。

すべての学生と良い人間関係を築こうとする私の「執着」が生んだ苦しみを紹介してみました。

2015年6月6日土曜日

「期待」せず、何にも「執着しない」ということ

何はともあれ、まずは「自己受容」、が最近のテーマです。今の自分を認めてやること。「自己肯定」ではなく「自己受容」です。「肯定」は良いか悪いかよくわからないことまでも無理やり「肯定」にもっていくイメージですが、「受容」は受け入れることであり、肯定でも否定でもない非常にフラットな状態、なのでは。

「自己受容」ができなくなるとき、大抵はミスをしたときです。そのミスがなければ周囲の「期待」を裏切ることはなかったわけですから。そんな周囲の「期待」に応じられなかった自分に対して「価値がない」と思ってしまい、同時に「自己受容」ができなくなるわけです。では、そんなときにはどんな考え方でいればいいのでしょうか。

アドラー的には「行為」ではなく「存在」の価値に立ち戻る、ということになると思います。「存在」していること自体に価値があり、その価値は「行為」を上回ることがない。当然といえば当然ですよね、「存在」がなければ「行為」が生まれるわけはないのですから。

そもそも、「期待」するというのは好ましい状況なのでしょうか。全ての「負の感情」はこの「期待」を持つことから生まれると思いませんか。「いつもの」馴染みの飲食店で「いつもの」味が提供されなかった、いつもは電車が時間通り来るのに来なかった、夫からひどいことを言われた、などなど。相手に対する「期待」があるからですよね。もっと言うと、その「期待」に「執着している」状況です。そんな「期待」に胸踊らせたり、落ち込んだり、怒ったりするのは、相手が「存在」していることに対する感謝を忘れてしまっているからじゃないでしょうか。「存在」なくして「行為」は生まれませんし、同時に「期待」も生まれません。

生活の中で生まれる「期待」に対して、少しずつ「執着」を減らすことで「自己受容」が促されるのではないでしょうかね。

こうやって書くことで、また一つ頭が整理されますね。

2015年6月4日木曜日

何が起きても、心が乱れる時間は最小限にしたい

最近、自分のキャパシティーを超えそうな状況で、少々疲弊しておりました。そんなときにふと、「人として強い」ってどういうことなんだろうって考えていました。正確には、強くあろうとする人はどんな考え方を持っているんだろう、そして、どんなことを実行しているんだろう、といった内容でしょうかね。

今の私がすぐに思いつく「強い人」は「人生の課題に対してひたむきに取り組む人」かなと思います。考え方が強くアドラーに影響されておりますが、いわゆる「ライフタスク」に対して向き合っている人ですよね。じゃあそういう人って、普段とは違う大きなストレスを感じているときに、どんな考え方をしているんでしょうか。

一つは、やはり「自己受容」だと思います。まずは今の自分をきちんと認めてやる。「いいんだ、今まず生きているだろ」とそこに感謝することができる状態ですよね。そう思えれれば、今の困難な状況で無力感を味わう時間が最小限ですむ気がします。

もう一つは、「貢献感」ですかね。今の自分は、その課題に対してどんな貢献ができるんだろう、どうやって(あくまで自分なりに)相手に対して(良く思われようとかではなく)貢献できるようになるんだろう、という気持ちでその課題に取り組めるのか。このとき、見返りを求めたくなるのが一般的かもしれません。私がこれだけ頑張ったのだから、あなたも私に見返りを...そうじゃないと私は幸せとは言えない、という関係性です。でも、心配無用です。あなたが「頑張った」ことそのもので幸せな気分には十分になれます。

誰かのために「頑張った」ことそのもので、なぜ幸せな気分になれるんでしょうか。それは次に述べる共同体感覚とも関連が深いのですが、少なくとも「自分なりに頑張った満足感」で大部分が満たされると思います。この感覚を掴むのは難しいかもしれませんが、わかりやすいのは、まだ物心のつかない子どもが車にひかれそうだったので助けた(非現実的過ぎるかもしれませんが...)という場面です。そういった場合、多くは母親がそばにいるでしょうが、仮にいなかった(さらに非現実感が増しますが...)としても、その子どもから何も感謝の言葉を言われなかったとしても、おそらく「よかった...」という安堵感とともに、自分が誰かの助けになれたという「貢献感」の感覚が得られます。私は、「頑張る」という行為そのものは、常にそういう感覚で良いと思っています。相手の見返りがどうとかはひとまず置いておいて、今向き合っているこの人に、私として実行するべき最善の行為はなんなんだろうと考え、それを実行するだけでいいんです。もちろん失敗もあると思います。でも、あなたはまだ生きています。そう、また「自己受容」から始めればいいんです。その「自己受容」で得られた幸せな気分をひっさげて(?)、また「貢献感」のために(?)考え、実行すれば良いんです。

私が思う「強い人」は、この考え方のループをすさまじく素早く切り替えられ、かつ実行できる人なんじゃないかな、と思う今日この頃です。

私の現状を言えば、今はまだこのBlogに綴る時間を持つ、酒を飲むなどを経ないと切り替えられない状況です...。

2015年5月13日水曜日

アドラー心理学を生活に取り入れて約1年、毎年恒例の5月病はなかった

イケハヤさんの記事につられて書きます。タイトルの通りです。課題の分離から始まり、自己受容と対等な人間関係、さらに共同体感覚...。すべてを実践できているわけではないですが、確実に染まってるのがわかります。最初の10ヶ月くらいは言葉でしか理解できていない上に、自分の都合の良いように捉えていました。特に課題の分離は、共同体感覚を含まない課題の分離を実践していました。今でもそうかもしれませんが、少しずつ共同体感覚を持てる場面の割合が増えてきている実感があります。

そうなると、生きることが楽しくなってきました。5月病って、おそらくかなり周囲の環境に大きく影響されてしまった結果だと思うんです。でも、他者評価を気にせずに課題の分離だったり自己受容ができてくれば、5月だろうが12月だろうがほとんど関係なくなると感じています。

今後は、どういったスキルが自分にとって適しているかが見えてくるのかなと思っています。アドラースタイルをより深めつつ、自分が本当に好きなこと、大切にしたいことに費やす時間の割合を増やしていく。今も少しずつできてきていますが、自分の好きなことってなんだろうっていうことを考える時間を増やしていきたいですね。

嫌われる勇気の中で、「舞台の上でスポットライトを浴びてダンスしている感覚」というのにはあまり到達できていないのですが、未来のことにつなげるための今の行動を、少しでも「今につながる今の行動」(?)、にしていければいいのでしょうかね。意味不明ですが、今の思うところでした。

2015年5月4日月曜日

人としての価値は皆同様である、ということ

私のマイブームです。人としての価値は皆同様だということ。CEOも大統領も赤ちゃんも学生も教員も皆一緒。だから、教員が頑張ってえらそうに教える人を演じる必要もない。大事なのは専門的知識を備えているかだけではなくて、対等に人と関われることにあるんじゃないでしょうか。

もし、学生と対等な関係が築けたとしたら、学びたいと思う学生はより学べるようになるはずです。学びたいと思う人との壁がないからです。聞きたいことが率直に聞ける。そこで教員が自分の知識が絶対正しいと思って話していれば別ですが、お互いに曖昧なところや発展できる内容を議論できれば、それだけで飛躍的に学びが進化すると思います。

看護学部では、看護師養成という大義名分があるために、広く浅い知識の提供になりがちです。あなたはこれがわかってない、それもわかってないという減点法の教育しかできなくて、枠にきちんと収まるような人材育成になっている。違いますよね。これからは時代もどんどん変化していくのに、過去の知識を持った人の知見じゃなくて、自分がこれから看護師として自らを研鑽していくための力が身につけばいいんだと思います。

その自己研鑽能力を阻害する最も大きな要因が、縦社会的な教員と学生の関係です。別に、何を勉強しようが勉強しまいが、人としての価値は皆同じだという想いで関わることができていれば、あなたの弱点はこんなにたくさんあるのよ、という教え方にはならないはずです。学生が日々学べたことを共有したり、学ぼうとしている人を助けたりするだけでいいんだと思います。得意なことを伸ばすことが弱点の補強になることに誰も気づいてない気がしてしまいます。

こんなことを毎日考えられる私は本当に幸せで自由だと思います。思わず一人でにやけてしまうレベルです。もし、学生と教員の両方が対等な人間関係を築けたら、どんどん学生の能力が解放されていく、もしくは充実感を得られていく、そんなのを妄想しています。

大事なことは、対等な人間関係が良い成績の人材を生み出し、臨床で確かな実績を積む人材を育成することにつながるわけではないということです。あくまで、その人本人の幸福につながるというただそれだけのことです。どんなに病棟で使える人材だろうが、使えない人材だろうが、人としての価値は一緒です。人は誰しもが他者貢献感を持つことができる。そう考えると、人間関係や所属の中でなにかしらの貢献が可能です。その貢献の度合いに優劣はない。そしたら、結果なんてどうでもいいことだと思います。

生きてるだけで丸儲け、というさんまさんの名言が頭に浮かびます。

2015年5月2日土曜日

炭水化物が食べたくなったらスープを飲むといいかもしれない

ダイエットの知識がある人なら、セオリーな話。まずはサラダやスープでお腹を膨らませてからご飯を食べれば少量でも満足感が、みたいな話に近いかもしれません。しかし、肉卵チーズ食では、基本3種を食べた後になります。まだ私が糖質中毒から抜け出せていないだけかもしれませんが、基本3種を満腹まで食べても、いまひとつ物足りないことが多い。アイスを食べたりしますが、それでも満足感が足りないことがある。

そんな気持ちを抱えて(?)いた、ある晩飯の食後...体重もだいぶ落ちたし、ちょっと嫁とカップ麺でも半分こしようか、と思いました。カップ麺を食べながら私は思いました。あれ?麺というより、スープが美味いかも、と。そりゃ塩分とうま味調味料たっぷりですからね。そして、スープを飲み干し、麺は3口くらいにして残りは捨てました(ごめんなさい)。

一般的な醤油ラーメンスープのカロリーは70kcal程度のようです。ざっくり100kcalだとすると、糖質量としては15g〜30g程度でしょうか。ちなみにインスタントの味噌汁は1杯5g程度でした。これなら、ラーメンスープを飲み干す方が身体に良いかもしれません。アイスの糖質とスープの糖質を合わせても50gちょっとくらいなら、江部先生の提唱する糖質制限の枠内に十分おさまりますね。

というわけで、美味しい高飽和脂肪酸スープのメニューを考えてみましょうか。

  • ラードのゴマわかめスープ(ウェイパーにわかめとラードとすりごま)
  • 味噌バター卵スープ(中華だしに味噌とバターと卵)
  • 普通に味噌汁(カツオだしに味噌)
  • 生クリームたっぷりコンソメスープ

この4種類でもだいぶ満足ではないでしょうか?和洋中をだいたい押さえた感じです。スープという選択肢がなかなか浮かばないので、どんどんレパートリーに加えていきたいですね。具も、適当に好きな物を入れれば飽きずに楽しめそうです。

2015年5月1日金曜日

肉卵チーズ食は美味しい

始めてからどのくらい経ったのでしょうか...。日々、牛肉を安く買うために楽天を見ております。コストコのラムが安かったときは、ずっとこれでいいな〜とか思ってたけど、いつも100g150円なわけもなく...でも、さすが現代社会ですよ。買おうと思えばあるもんですね。まだ買ってないけど、1kg1680円っていう牛肉切り落としがありました。-50度で管理しているらしいので、鮮度も大丈夫でしょう。

多少エンゲル係数は上がってしまうものの、工夫次第で十分肉卵チーズ食を楽しめています。卵にアレルギーがあったり好き嫌いがあったりすると大変なんでしょう...。しかし、先日購入した900g4980円(100g500円)霜降りの肉を食べましたが、もう最高に美味かったですよ。半熟目玉焼きでスキヤキ風にも食べ、少しのゴマだれでしゃぶしゃぶ風に食べ...。残り300gしかないのが残念です...。でも、一緒に購入した霜降り和牛のすじ肉(100g198円)も十分美味かったですよ。固いと言われるすじ肉ですが、脂身の質が極上なので、ワインで15分くらい煮るだけでめちゃくちゃ美味い、そして柔らかい。これで健康になるんだろうから嬉しい限りですね。

最初は満腹で血糖値が上がらない感覚が変〜とか言ってましたが、それにも慣れ、少しの野菜類(キャベツやレタスなど)の糖質があるだけで十分満足するような感じです。もちろん、それほどストイックには管理できない日もあるので、ジャガイモやら人参などの根菜も食べるときはあります。でも、主食を食べなければ、それほどの糖質量とはならない。人参1本食べても糖質10g、じゃがいもでも2~3個で60g程度でしょうかね。それでも1日1食の私はしっかり糖質制限食になります。

正直、外食したりするときは炭水化物をがっつり食べるときもあります。酔った勢いでパスタ大盛りを食べたりもしますし、お蕎麦を2杯食べたりもします。その前にビールを5杯くらい飲んでいたりします。そうなると、見事に身体は反応し、1パーセント程体脂肪率は上昇しますが、それでも、また平日に1日1食肉卵チーズ生活をすれば体脂肪も元通り。最近は体重を75kg以下にならないよう注意しながら食べています。食べるたんぱく質が減ると体重も減ってしまいますね。脂は摂取しても蓄積しませんね。糖質を取ればインスリンの作用で取り込まれてしまいますが、それさえなければ、簡単に蓄積しないという実感があります。

卵の消費量がハンパじゃないです。定期購入を検討しているほどですが、安価なものは少なく...。お肉が確保できないときは6個以上食べてますね。今健康診断してくれれば、見事にコレステロール異常値でしょう。卵ごはんはだめですが、今度は野菜たっぷりにしてキッシュを作ってみようと思っています。
お肉も豚バラや鶏ももを取り入れています。でもやはり満足感は俄然違いますね。好みの問題かもしれませんが。個人的にはラムが一番好きですね。でも、和牛の牛脂のひき肉というのも1kg540円のようなので、他の肉や卵と合わせてトライしてみたいと考えています。ラードより安い(笑)。

食事の記録取ろうかな〜。

2015年4月29日水曜日

昼飯

晴れた公園でお弁当
ハムとバターのオムレツ
ウィンナー
LAWSONのカツサンド1切れ
ポッキー
ソフトクリーム少々
デザートチーズ1切れ
オニギリ1個分
生春巻き2個
などなど

昨日の晩飯

和食系居酒屋で刺身や焼き魚、焼き鳥などのみで、ご飯系は食べず
ビール3杯ハイボール2杯
帰ってから袋麺…食べちゃった

ほぼ同世代の男子看護学生と飲みに行ったときの話

いや〜、楽しかったですよ。30代前半の男3人。自分ばっかり話してしまったので、申し訳ないとは思いましたが...。普段自分が考えていて話せなかったことを8割以上話せて、頭が整理できました。話したかった内容は以下の通り。

  1. 対等な関係で話したい(タメ口が良い)
  2. 対等な関係こそ人の可能性を伸ばすのではないか
  3. 人の価値は生きていることそのものにある
対等な関係で話したい
諸事情があって、最初は2人で話していました。普段は大学で顔を合わせているので、話始めも特に違和感はなかったんですが、私が上の3つのことを考えていることを少しずつ伝えると、だんだん盛り上がってきて(たぶん、私だけではなく。たぶん...)、敬語もなくなり、共感してもらえました。特に、対等な関係で話したいということを私が考えていたことに驚いていたみたいです。
どうしても、立場上上下関係、縦社会になりがちですが、そこを越えられると仲間として、無駄なストレスがなく人間関係が構築できる気がしてます。ただでさえ、一人一人価値観が違うことに対する修正をしながら仕事なりを進めなくてはいけないのに、上下関係などの要素も入ってくれば、そりゃめんどくさいですよ。「上の人だから言えない」「下のあなたに言われたくない」なんてバカバカしいです。
お酒の力も多少かりましたが、ここぞとばかりに、(対等にというより)普通〜〜〜に話しました。自分の話をし過ぎて、みんなの考えていることを最後までちゃんと聞かなかったのが次の飲み会への課題だとは思いましたが、すごく普通に話せました。正直、ちょっとカッコつけたくなる場面もありましたが、ちゃんと受け止めてもらえる、もしダメでも自分の価値が変わるわけじゃない、それは相手が受け入れるかは自分の課題じゃないって信頼して話せたのが良かったです。むしろそのおかげで、普段は聞けない二人の考えを聞けました。

対等な関係こそ人の可能性を伸ばすのではないか
そりゃそうだろ、という感じです。だって、本当は興味あるのに話せなかったりとか、教員が威圧的であればお互いのコミュニケーションを阻害するだけです。そこから何も発展しない。相手の得意なことにフォーカスすれば、それでOK。自然と得意なことが見つかるんじゃないかと思ってます。大学のテストがよくできる、実習で記録がよく書ける、そんな評価基準で人を評価する方がよっぽど可能性をつぶしてますよ。そりゃ上手に書けない人もいるだろうよ。でも他者貢献のためのツールってそれだけじゃないよね。病院に勤めるだけじゃないよね。自分の他者貢献の仕方は自分で編み出せればいいんじゃないかと思いますよ。誰かよりも仕事ができる、あの人よりはマシだからって評価をモチベーションに仕事をするのって最高につまんない。自分はちゃんとこれで他者貢献できてる、まずはそこからで十分じゃね。

人の価値は生きていることそのものにある
みんな対等。大統領も私も同じ人間です。そう考えると、仕事ができないことはダメなことじゃない、ということになる。あくまで自分として、人生の嘘をつくことなく一歩でも踏み出すことが大切じゃないでしょうか。ちょっと時間かかったから、この部分は上の方でも似たようなこと書いたし、割愛です苦笑。

2015年4月28日火曜日

昼飯

味噌汁にバター10g
ヨーグルト200g

糖質量はおそらく20g弱

パニック障害に肉卵チーズ食は効くのか

妻にはここ3カ月ほど、妻に肉卵チーズ食を推薦しているのですが、肉や卵に飽きたというコメントがあり、なかなかうまく誘導できていない現状があります。「甘いもの」「白米」からなかなか脱却してもらえず、自分の力不足を感じております。

しかし、先行研究を確認したわけではありませんが、タイトルにある通り、中枢神経系が大きく関与すると思われる精神疾患の類に、肉卵チーズ食は大きく関与すると考えられます。質の悪い脂(つまりサラダ油関連)を摂取することは、生体の合成・修復にその油が使用されるということですので、神経細胞ならびにホルモンの合成がうまくいかないことが予想されます。



この本によると、米国精神医学委員会では魚油を推薦しているようですが、これでは不足と思われます。体内の細胞はコレステロールを主とした構成をしているらしいので、その良質なコレステロールを作り上げるためには、飽和脂肪酸(動物性脂肪)は欠かせません。アミーチョ・サロンにもそのような記述があります。

自分が元気のないときに、心理学に救いを求めていた時期は、同時に食事に関することも色々な本を読んでいました。そして、1日1食なり動物性脂肪食に目覚めたのですが、その結果数ヶ月という短い期間で、体感的にですが、いい結果が得られています。心技体とはよく言ったものだなと思います。本当にそう言われているかは不明ですが、心と体が整ってこそ、最高の技術が発揮できるものだ、と考えられると思います。

妻の場合は、心も安定していないので、心と体のケアが同時進行であるべきだと思います。今後は、心のケアにも着目していかなくてはならないと思います。が、まだ私の心が十分成熟していないため、先は長そうです。深刻になる必要ない、真剣であればよいんです。生きている今を楽しく過ごせていればOKでしょう。

我ながらいつも支離滅裂ですね。すみません。


2015年4月27日月曜日

晩飯

豚トロ味付きもやし炒め
茹で卵2こくらい
豚コマ人参バター源たれ炒め
クリームチーズ
ワイン4杯くらい
アイス半分
カップ麺半分くらい
アイスボックス
ウィスキー
ジュース
柿の種1袋

食べ過ぎだな

今日の昼飯

プロセスチーズ2切れ
ヨーグルト450gの半分
バター10g

2015年4月18日土曜日

人と対等であるということ

職位が少し上がってから仕事の内容が変わり、簡単に言えば、より教員らしい仕事になりました。しかし、自分の中に芽生えてきたのは、微かにしかないはずの自分の影響力に執着する気持ちです。

自分の判断でできる仕事が増えたことは悪いことではないと思いますが、その増えた仕事に比例して周囲の人に対する影響力もデカくなる。正確には、デカくなったと感じている、ですね。その影響力増大感覚(?)は麻薬のような(やったことないけど)感覚な気がする。自分の強さで物事が動かせている感覚は、病み付きになるんだと思う。しかし、それと同時に、その気持ち良さに執着し、固執し、それがないと不安にさえなってしまう感覚になりそうだった。だった、ではなくなる要素を今でももっていると思う。

たかが助教に上がったくらいで、そうなるんだから、我ながらだいぶポジティブ(?)だなと思うけど、自分の影響力増大感覚に関連した高揚感は無用だと実感しています。その高揚感は大切なものをどんどん奪う。人と対等で、信頼していてはじめてできる他者貢献感もなくなるだろうし、生きているだけで有益である自分の存在を受容できなくなるでしょう。

わかりにくハナシかもしれないけど、自分の子どもにもいつかその感覚に気づいて、他者貢献感を維持できる人になって欲しいなって思った。

2015年4月15日水曜日

看護大学の教育は病院に就職させることが目的になっている

今年度も始まりました。新入生だったり進級した学生で大学は活気があります。看護師や保健師になろうと思って大学に入学する人が多いのですが、あまり考えられていないのが、「看護師ってどんな仕事なのか」ということ。もっと踏み込んで言うと「看護師になると、どんな気持ちで仕事をすることになるか」ということになると思います。

大きな総合病院で提供されている医療のほとんどは西洋医学です。でも西洋医学もはっきりしていないことはたくさんあるし、西洋医学では解決できない問題(症状)も多い。というか、西洋医学の考え方ってホントに正しいの?などと考える私のような学生がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。現在ある考え方に疑問を持つことが科学者として、看護師・保健師としての第一歩です。

病院に勤めると、その病院のやり方を「押し付け」られます。間違いありません。その病院の「みんな」はそうやっているので、それを「押し付け」られます。もし、その病院以外は違うやり方だったとしても、内容によりますが、簡単には変えないでしょう。そうです。病院では「科学的根拠」を大事にせず「過去の積み重ね」を大事にします。今までそうやってきたから...とかの理由が「根拠」になってしまうのです。

最近、盛んに看護基礎教育と臨床の格差が広がっていると言われていますが、独り歩きしているのは、病院の方だと思います。患者さんのために看護師になった志の高い方たちは一生懸命だと思います。しかし、その実践する看護の中にどれだけ「本当の自分の考え」を反映できていますか?ルールだから、そう習ったから、今までそうやってきたから。そんな理由で実践していると継続できません。「愛」がこめられないからです。自分の考えをこめられないものに「愛」はこめられないです。

ネガティブな意見ですが、現在の看護大学での教育はただの「洗脳」です。正しいことはこれ、間違っていることはこれ、私たちの大学ではそれをちゃんと教えています。そして人間関係形成能力や主体的学習ができる人材を育てています...。いや、それじゃあ大学ではないですよ。坂爪さんからパクりますが、大学は新しい正解を見つける場所です。自分なりの考えを作り上げる場所です。そのための道しるべは立ててあげた方がいいですが、一方的に正しい正しくないを教えるのは、誰でもできます。正しい(と言われる)知識が知りたければ病院の研修に参加すればいいんです。看護協会とかが盛んに開催していますよ。それを看護師養成課程を持つ施設が囲い込むから看護師が増えない気がします。
「大学」という場で学習することの意味は、その「自由さ」にあると思います。古いですが、反町隆史の「POISON」が頭をよぎります。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ。自由に発言できて、自由に批判されて、自由に考えを構築できる。大学はそんな場所であって欲しいし、自分はそういう風に大学で学びたいと思います。

読みにくい文章で本当すみません。

2015年4月14日火曜日

Apple Watch試着してきた

Apple Watchを試着してきました!もちろんSportタイプを購入予定だったので、つけてみましたが、思ったよりずっと軽い〜。普通バージョンもつけてみましたが、やはりSportタイプは軽いですね。つけてるって感じはしません。もっとバッテリー詰められたんじゃないっと思ってしまう。

【時計盤】
試着しての操作はできないようになっていたのですが、操作用のデモ機でたくさんいじってきました。時計盤のカスタマイズは思ったより豊富で、豊富過ぎてどうでもよくなる人もいそうです。きっと今後は時計盤の販売?みたいなこともできるようになるんでしょうかね。Apple Watchストアで「時計盤を買う」みたいな項目ができたりしそうです。

【ほんの少しフリーズ】
機能が豊富過ぎるせいか、かなりテキパキ操作しようとすると、もたついていることがあった。特にマップの経路探索のときは時間かかった。iPhone 3Gのときほどではないけど、少しのフリーズがあった。

【感圧センサー最高】
感圧センサーは抜群。グッ、っと押す感覚は慣れるとやみつきになりそうです。新しいMacBookにも似たようなセンサーが搭載されているので、楽しみなところです。グッと強く押すことにコツが必要なわけではないので、かなり自然に、マウスの右クリックのように、使えそうです。

【タピックエンジンの振動音はどうだろう】
タピックエンジンとやらは、「手首を叩く」ような反応をするそうです。まだ体験できていませんが、画面に指を二本当てて脈拍を再現?する動作をしてみたところ、かなりブルブルきましたね。かなり静かな環境であれば振動音が聞こえそうな気がします。だとしたら少々不安ですが、パニックな妻の着信を見逃さないのはありがたいことです。

【スポーツバンド、立ったままつけられる?】
試着のとき、バンドをつけるのを自分でやったのですが、左手を机の上に置きいて時計が落ちないようにしながらバンドをつける、という状態になってしまいました。私が不器用なだけかもしれませんが、立ったままつけるときは、時計をお腹で支えながら、バンド同士を通す、ということに慣れないといけないでしょうね。

とりあえず、早く欲しい〜。

2015年4月5日日曜日

看護大学では講義・演習に「目標」や「目的」を詰め込みすぎて本末転倒になっている

イケハヤさんのブログに影響されましたので、「逃げ腰語尾」を使わずに書いてみたいと思います。

大学の看護教員のほとんどは、熱意があればあるほど、講義や演習に重きを置いている。講義・演習の中で学生に吸収してもらいたいことや伝えたいことをたくさん詰め込む。おそらく、看護師として勤めている人でさえ、講義・演習で展開される知識の広さ(浅さ?)具合に、消化不良を起こす。

基礎教育において学生が身につけるべきことは、以下の3点。

  • 「自分が他者貢献して楽しく生きる方法論」
  • 「科学的・論理的な思考」
  • 「自分に合った健康的な生活」

やれ「看護過程」だの「看護技術」だの「看護の精神」などは、勝手についてくる。正確には、身に着けたいと思えれば自力で習得できる。それを上記の3点がはっきりしないうちからあれもこれも学生に伝えようとしたって、こちらの空回りに終わる。というか、「相手を操作すること」は到底無理です。

我々はあくまで、学生が自力で考えたり行動したりすることを制限せず、ルーブリックなんて曖昧な評価尺度で学生を小さな枠に留めることなく、個々の能力を解放してあげること、自分の得意分野に気づき、それを伸ばせる環境を整えてあげること、しかできない。

話は違うけど、そもそも私は西洋医学に偏った「病院」というシステムや、自分が本当に良いと思う医療に携われないことにも違和感がある。その「病院」に勤めるための「看護師」を養成するなんて、ただの「洗脳」でしかない。既存の間違っていることも考えられる科学的根拠を鵜呑みにして、医療に携わるなんて、全然楽しくないし、ただ既存の知識を得ようとすることを「主体的」とは言えるはずもない。

というわけで、看護の先生は、ただただ今まで自分が積み重ねてきた知識を伝授し、洗脳することだけではなく、一緒にディスカッションすることを取り入れるべきだと思うし、その力は学生に十分ある。自分の知識や考えが「正しい」ということを伝えるのではなく、一緒に「新しい回答」を考えるべきだ。その「新しい回答」を見出す過程こそが「主体的」であり、「科学的・論理的な思考」を修得するために必要なことである。

そのためには、既存の知識を最短ルートで修得してもらう必要がある。懇切丁寧に時間をかけて作成したパワポで、さらに90分座学で講義に時間を投資してるなんてもったいない。21世紀なんですよ?(イケハヤさんの影響)ICTを活用すれば既存の知識を理解することにそれほど時間はかからないと思いますし、いつでも調べられる環境を整えてあげる方がよっぽど良い投資です。

「逃げ腰語尾」を使わないのは、かなり気持ちいいですね。自分の意見を言ってるぞ、という気分になれました。

2015年4月4日土曜日

2歳8カ月の息子との良好な関係を維持するために不要なものは「執着」だ Part 1

先日の朝。いつものように保育園へ行く準備を、「こちらが思うように」進めてくれない息子。私は(おそらく妻も)息子のその行動を「矯正」しようとする。保育園へ行く準備をするのが「良いこと」で、準備をしないのが「悪いこと」。そんな「執着」に私も染まっていた。それはもちろん、仕事に行くためだし、仕事は息子の養育に必要なお金を稼ぐためという気持ちもなくはないので、保育園を行く準備に「執着」してしまう。その「執着」が息子との良好な(対等な?)関係を崩してしまう。

理想は、お互いが協力関係になり、息子の「貢献」に着目すること。その方法論を次回考えてみたい。

2015年4月2日木曜日

Apple Watchは「ストレスの測定」「iPhoneとの連携」「ResearchKitとの連携」に期待

出ますね〜。個人的には、脈拍数を日常的に計測して欲しかったのですが、バッテリーをだいぶ消耗するようで、普段の脈拍数は計測できなそうですね。私は自分の性格的にも仕事の内容的にも、動いてないのに脈拍数が上昇していることが結構ありそうな気がしているので、測定値からストレス度とかがわかるようになってほしいなと思っています。

あと、対応アプリも続々発表されていますね。クックパッドも良い感じです。ユーザーがより自然な形で生活を便利にできそうですね。有料で良いので、こんな食事を継続したい(私であれば高たんぱく質高飽和脂肪酸食)ということを実現する上で必要な材料が揃えられ、その材料や自分の好みの優先順位(私であればイタリアン)を提示すれば、味付けも提案してくれたりしないかな〜という感じです。

iPhoneは進化するたびにセンサーが追加され、ますますできることが増えてきています。それらセンサーの機能をより生活に密着した形で連携してくれる機能がApple Watchに期待されている気がしています。

どうせ次のApple Watchが出るでしょうから、今回はつなぎとして Sportの黒を購入予定です。人気ありそうだな、黒。

ResearchKitの未来はあまり見えてきませんが、本気で取り組めたらかなりデータ収集が楽になり、より分析に時間を割けるのではないでしょうか。看護との関連を考えると、難しい印象はありますが、何か突破口がありそうです。

2015年4月1日水曜日

貨幣経済と評価経済〜看護の世界は評価経済〜



Podcast「学問ノススメ」でこの書籍を紹介した内容を聞き、興味を持ちました。本は読んでいないのですが、Podcastの内容を聞くと、色々共感できるなと思いました。看護の世界は金儲けの世界ではないので、すでに評価経済の装いをまとっていると感じました。

一般的な総合病院に勤める看護師であれば、病棟というユニット(単位)に所属し、仕事に従事するが、そのときに所属部署の「評価」がなければ、快適に生きてはいけない。「(その病棟での)常識」から逸脱した考えや行動をする人はすぐに「仲間」に入れてもらえなくなる、もしくは「派閥」が出来上がる。これは女性に特徴的な部分かもしれません。

岡田さんは今後、世界は評価経済に変化し、貨幣経済が衰退するという考えなのかと思いますが、もし、岡田さんが考える評価経済が上記のような内容であれば、決して賛同はできないなと思いました。おそらく、岡田さんの考える評価経済はもっともっと大きなユニットで考えられているから、自分の好かれるもしくは相性の良い人を見つけ出して、そこで過ごせば良いということなのだと思います。相性の悪い「仲間」もしくは「派閥」とは一緒に過ごさなければいいのだということでしょうね。

確かに、Podcastの中でも、複数の仕事を持つことが得だという考え方が話されていたので、その点に着目して看護師を続ける方がいいのかもしれません。私が現時点で考える、看護師としての理想の働き方を箇条書きにしてみます。職場は「大学」「企業」「病院」の3つになります。
  • 大学で非常勤講師もしくは実習インストラクター(キャリアアドバイザー)、あるいは研究補助として従事
  • 企業で健康相談や個人の健康データを使った管理や調査、研究
  • 病院で若い時夜勤専従などもするが、基本的には外来など
私もこういった看護師の就業場所の知識が乏しいですが、ある程度の知識(学習力)と論理的思考力と看護技術力があれば、この3つをかけもちして年収を確保することは可能ではないかと思います。安定して長く勤めることもできないかもしれませんし、保証もありませんが、自由度は高いかなと思います。

2015年3月31日火曜日

妻のパニック障害の現状

先日、妻の実家に帰省していました。子どもを預けられるので、私にとっても大きなメリットになる帰省。もちろん、帰省中はパニックになることはありません。実母の手厚いサポートがありますし、常に誰かが側にいる環境は、今の妻にとって重要な要素なのだと思います。

ですが、帰省前の週は、私が遅くなるとたちまち動悸や頻脈、不安感に襲われるようでした。「どうしてこんなに私が苦しんでいるのに帰ってこないのか」といった類の感情とともに症状が出現する、というのが私の理解です。デパス0.5mgを内服し、症状は多少コントロールできるようになったようですが、本人も薬を飲み続けるということにも不安があるようで、何とか改善したいと望んでいます。

妻にとって、今の環境が彼女のキャパシティーを超えているのかもしれません。子どもがいる幸せを感じると同時に、その責任の重さを感じていたり、母もしくは妻としての役割を果たせていないのではないかという気持ちもありそうですし、社会的な役割を持っている(仕事をしている)自分を捨てられず、何とかそこには執着しようとする自分...。そのバランスがとれていない気がしています。キャパシティーを超えているということよりも、バランスが取れていないということなのかもしれません。

私も私で、自分をコントロールできておらず、ついつい酒の飲み過ぎで、体調を崩し、心身のバランスが取れていないのが現状です。ibaya通信で元気を出しつつ、職場にはバレないようにのんびり過ごしたいと思います。

2015年3月30日月曜日

看護学学習中の学生が自分の能力を最大限に解放するためには何が必要? Part 1

大学は教える場ではなく、考える場だと思います。自分で自分なりの答えを導き出す過程に価値があり、その過程がトレーニングであるという考え方です。少なくとも、私のいる大学ではその要素が少ない。学生は教えてもらおうとしてるし、教員は教えようとしている場面が多い。おそらく、20年前よりは、教える教えられる関係が軽減したと思うけど、まだまだ「教員は偉い人、学生は教わる人」みたいな環境です。

私は、自分なんかよりずっと発想力の豊かでIQの高い学生がどんなアイディアを持っているんだろう、という考えがあります。学生が持つその力を何の遠慮もなく解放できたら...と思うとすごくワクワクします。ルーブリックなんて、学生の可能性を潰すようなものにしか感じられない...。評価表で、自分の悪いところを明確にして、自分の弱点ばかり見せられても、自分の得意なところは見えてこないでしょう。教員側の自己満足でしょ。

では、大学のカリキュラムにおいて、どんな方法が学生の能力を最大限に解放できるのか。そのヒントは「レール」と「脱線」です。

まず、「レール」について。テーマ、と言ってもいいかもしれません。すべてが自由になると、逆にどうしていいかわからなくなる感じがあると思います。いきなり1000億円もらってもどうしていいかわからない、みたいな?なので、ざっくりとこれについて話します。みたいな内容があれば良い。例えば、「人間における脱水とは?」みたいな。もちろん、脱水を語るためには基本的な知識が必要なので、そこは事前学習が必要です。その部分が「レール」です。テーマに合った知識をある程度自分で説明できるくらいまでに構築しておく。

続きは次回。

2015年3月29日日曜日

学士(看護学)を取得した看護師と、そうではない看護師に違いはあるか? Part 2

なぜ、自分の適正に合った職場であったとしても、つまらなくなり、続かなくなるか。もちろん、一生続けたいと人も必ずいると思います。その人はその職場に「貢献感」を見出せたから続けたいと思うし、続けられたのだと思います。しかし「貢献感」だけで言えば、続けられなかった人も大なり小なり得られていたと思われます。・・・そうです、続けられるか否かの大きな違いは「楽しい」か否かに他ならないと思います。「自分にとって楽しいか否か」です。

「仕事の報酬は仕事」という言葉があるようですが、これは正にそれを言い当ててると思います。言うなれば、「仕事」という言葉が適切ではなく、「楽しさ」にしてもいいかもしれません。あまりかっこいい言葉ではないけど。「楽しさの報酬は楽しさ」。当たり前だろって感じになっちゃったけど。要は、仕事は義務ではなく自分を楽しませるためにあるということを前提にして「仕事」を捉えてみると、もはや仕事なんだから楽しくてやってるんだかわかんない、みたいなことになる。22世紀の「仕事」の概念はそうあってほしい。

看護師の離職率が高かったけど、ちょっと低くなった等々語るよりも、もっと「ヒト」が働たくなるような医療現場を作るために試行錯誤する方がベターなんじゃないかなと思ってしまう。医療っていう業界?がとても大きな影響力を持つようになって、医師や看護師は日々プロトコルに従った医療を提供していて、その過剰なサービスを提供するのために力尽き、考える力が残っていない。「ホントにこの医療って必要なの?」と。いや、正確には、考えているけど行動する時間が残ってない。割と安定した給料が提供されているのに、それを壊してまでそんなギャンブルみたいな行動をする価値がない。

自分を肯定したいだけなのかもしれないけど、私は「ホントは何が必要なんだろう?」って常に考えられる人でありたいし、ほんの少しでも良いから行動できる人になりたいと思っているつもりです。
話が長くなりましたが、学士(看護学)を取得した看護師は、常に批判的思考でいれて且つその思考に対して行動できる人であって欲しい、と言いたかっただけです。そうではない看護師との違いは、その批判的思考に伴う行動、にあるべきなんじゃないかなと思いました。


仕事をしないことに対する言い訳になりますが、私は仕事を多少おろそかにしてでも、批判的思考と行動に費やす時間を確保したいなと思っています。それが私の「楽しさ」になっています。

2015年3月28日土曜日

学士(看護学)を取得した看護師と、そうではない看護師に違いはあるか? Part 1

要は看護系大学を卒業したか否か。言葉にすればたったそれだけだし、現状、そんなに大きな違いはないと思っています。臨床現場では、大卒は「使えない」「頭でっかち」と評価されているという噂はあるみたいだけど、それも結局は個人差の問題。病院で看護師として働き続けるのってかなり広く浅く色々な能力が必要だと思いますし、仕事に個性が出やすい職種と感じます。

おそらく、たくさんお金をかけて適切な人材を確保して分析すれば、先天的にどんな能力が高ければ、「使える」看護師なのかを判断できると思います。その「ふるい」にかけて、あなたはこんな能力が高いから呼吸器内科病棟、あなたはこんな能力が高いから循環器外科病棟、なんていうこともできちゃうと思います。でもそれって、動かされてる方は「貢献感を持てない」と思います。

おそらく、その「ふるい」のおかげで「楽」にはなると思います。あくまで手堅い職業として看護師を選択した人にとっては、自分の能力に適した教育を受けて、自分に見合った病棟に配属されて、エスカレーター式に進める。まさに「適材適所」と言えなくもない。意外に、そんな教育を受けられることを望んでいる高校生や中学生は多い気がします。苦しみが最低限で、安定した収入が得られる職業に就けるし。

でも、きっとそうして就いた仕事は、つまらなくなるし、継続できない。その理由は次回。

2015年3月27日金曜日

満腹なのに血糖値が上がらないときの感覚

早速、朝に晩飯を作っておく作戦を実行し、成功しました。メニューは、Kenスープ風黒ごまスープ、ゆで卵、中落ちカルビのグリルです。スープには、グリルのときに出た脂を加えて美味しさを演出しました。黒ごまの香ばしさでかなり美味しいと個人的には思ってます。ラード入っているので、ラーメンが食べたくなってしまいそうな味です。

昨日、肉卵チーズ食を実践しました。やはり、満腹なのに満足できない、という症状に襲われました。しかし、今回は(満腹なのに満足できないことによる)焦りのような感覚があまりなく、ちょっと落ち着くまで何も食べないでいたところ、15分後には満腹感も軽減してきて、落ち着きました。そのあとチーズ食べたくらいです。

私の経験した、焦り、のような感覚が起こってしまう原因は二つあるのかなと思いました。一つは「糖質による満足感が得られないことへの中毒症状」であり、もう一つは「早食い」だったんだと思います。もう少し時間をかけて食べれば、落ち着いて?満腹になれるのかなと思いました。食事って、本来どうあるべきなんでしょうね?食べることに集中しすぎると必ず早食いになってしまいそうだけど...。夫婦の会話を楽しみながら食べられたらいいんでしょうかね。

2015年3月26日木曜日

肉卵チーズ食を継続するための個人的なアイディア

アミーチョ・サロンにはすっかりお世話になりっぱなしの日々を過ごしております。とても勉強になっています。Kenさん、厳しい物言いですが、かなりストライクな切り口ばかりで、とてもありがたいです。

着実に肉卵チーズ食の大切さがわかってきました。数日体験してみて、その効果や自分の糖質中毒ぶりも把握できてきました。しかし、やはり継続することの難しさがあります。それははっきり言って「妻」です。日々の食生活を支えてくれている妻からすると、そんな偏った食事は...という気持ちと、せっかく作ったのに(糖質主体の食事を)食べないんだ...という気持ちになってしまうようで、継続しにくいのが正直なところです。

妻も、なぜ私が肉卵チーズ食を始めているのか、なんとなく理解してくれているようです。特に私は、妻の橋本病やらパニック症状なども、ホルモンバランスや神経細胞が正常に働くようになれば、改善すると考えています。そのためには、高タンパク質高飽和脂肪酸食低炭水化物を実践する必要がある、という理解になりましたので、ぜひ妻にも実践してもらいたい。ですが、炭水化物で得られる満足感を捨てられないず、動物性脂肪が身体に良いという考えに馴染めていない妻は、朝にクロワッサンと甘いヨーグルトを子どもと自分に食べさせ、昼も高炭水化物食を食べ、夜はリゾットとビーフシチューというメニューにして満足しているんです。いやいや、少しずつ説得してみせます。あくまでこれは現状把握として捉えたいと思います。

幸いにも、妻は肉も卵もチーズも大好きです。正直言って、私の調理の技術があと5ランクぐらい上がれば、妻も満足できる料理を日々提供できるのですが、時間的にも技術的にも難しい状況ですね...

今書きながら閃きました。こうやってアウトプットするのは大切ですね。妻に晩飯を作って上げれば、妻はまずそれを食べてくれます。まずは、私が毎晩晩飯を作って上げれば良い。ですが、仕事で遅いときも多少ある。早朝活動がそれほど苦ではない私、閃きました。朝に晩飯を作っておけば良いんです。こんな簡単なことが思い浮かばないなんて。

とりあえず、次回の晩飯はシンプルにガーリック風味の牛肉のグリル、バターたっぷりの目玉焼き、ミモレット。これでいきたいと思います。

2015年3月20日金曜日

1日1食の方法をリニューアル

アミーチョ・サロンなるブログに出会いました。私にとっては、かなり革新的な内容でツボにはまっています。このブログで述べられている食事に関する考察の要点を私なりにまとめますと、以下の通りです。
  • 1日1食、たまに断食を推奨
  • 高たんぱく質&高飽和脂肪酸食で低炭水化物を推奨
  • 無糖ブラックコーヒー、赤ワイン、蒸留酒はOK
  • 結構毒舌(笑)
毒舌なところはあまり共感できませんが(笑)、私が今まで学んできたものの核心をついてくれた!みたいな内容でちょっと感動してます。上記の要点を実践しようとすると、食材はかなり制限されてしまい、肉・卵・チーズが主に摂取できる食材になります。糖質中毒の症状緩和のために糖質0の甘味料は必要だと言っていて、ちょっと許してくれるみたいです。そういうところは優しいのに、既存の根拠がない理論には毒舌(笑)。先日私が実践したメニューは下記の通りです。この日は豪華にしました。

  • チーズ盛り合わせ(ミモレット2年熟成、フレッシュチーズなど)1600円くらい
  • ぶりとカツオタタキの刺身1500円くらい
  • 鶏ハムのオーロラソースとチーズ100円くらい?
  • 鶏ももの唐揚げ(オリーブオイルとラードで)800円くらい?
  • 赤ワイン2杯程度(エノテカでイタリアのピノノワール)1000円くらい
  • グリコ糖質カットアイス100円くらい

でした。正直に言いまして、お腹はいっぱいになりましたが、
食べ終わった後、炭水化物への欲求が半端じゃない!!
脂食べ過ぎて具合悪いんだが米食べたいんだがわけわからなくなる感じでした。その日は糖質カットアイスと意志力で乗り切れました。翌日、体脂肪が減ってくれたので、しばらく頑張ろうとは思います。糖質カットアイスがなければ袋麺食べてた...自分がどれだけ糖質中毒なのかを思い知りました。炭水化物、恐るべし。それだけ人体にとって重要なエネルギー源だってことだよね。炭水化物美味そう〜とか思えないような脳だったら、飢餓時代を生き延びれなかったでしょうね。おかげで我々の命につながってる。

というわけで、プチ高たんぱく質高飽和脂肪酸食低炭水化物ダイエットを実行中です。コストを考えないと続かないから、その点は検討中だけど。上手く継続できるようにしていきたいところです。狙ってるのは牛脂です。ネットでかなり結構安く買える。鶏もも肉が松坂牛風味になるとかマジ嬉しい。美味いかは別ですが...。ま、追い込みすぎずに続けてみます。1日1食はほぼ意志力なくても続けられるようになってきていたにも関わらず、筋肉が減って困っていたので、良い気分転換になりそうです。

2015年3月19日木曜日

妻がパニック障害になりまして!

内容が多少ネガティブだと思ったので、感嘆符で明るくしてみました。ここ数ヶ月の間に、数回パニック障害とほぼ同様の症状が何度か出現していた、私の妻。妊娠中にも1〜2回あったみたいだけど、だんだん自覚症状が重いものに感じるようになってきたようです。そして、またなったらどうしたらいいんだろう的な「予期的不安」も結構辛いみたいです。具体的な症状としては下記の通り。一回で全てが出るわけではありませんが。

  • 120回/分以上の頻脈
  • 不安感、焦燥感
  • 冷や汗、手に発汗
  • 胃痛
  • 頭痛

そして、それらの症状の出現するタイミングが、思わずイラッとしてしまうんです。なぜかというと、「自分の思い通りにならなかった」という類に似た感情とともに出現するからです。例えば下記の通り。

  • 子どもの視ていたテレビが耳触りだったので、変えようとしたが、子どもがだだをこねて応じなかったとき
  • 私が飲み会で遅いと言っていたが、辛いので帰ってきて欲しいと妻に言われ、私がだだをこねて(笑)応じなかったとき
  • 私が妻の食べたいものを作ろうとしないとき
などなど。柔軟性に乏しくなってしまうようです。昨日は、私も実践中の高タンパク質高飽和脂肪食に賛同してくれましたが、本人の気分次第なので、その辺が難しい。

さて、今後の私の具体策を考えてみたいと思います。心療内科に受診する...なんていうのは「着想」の大好きな私の求めるところではありません(笑)。それこそ、薬漬けになっておしまいのパターンになりかねません。受診はあくまで対症療法としての手段と、病院に通っているから大丈夫という妻の気持ちに配慮してるという意義しかございません。妻は今のところ認知療法やらとかヨガとかアロマとかに気持ちが傾いているようですが、私からするとそれらも対症療法。考え方の根治、という意味ではアドラー心理学的なアプローチをしてくれる心療内科なら大賛成ですが。私が考える対応策は一つです。
妻の気持ちに配慮しながら、高たんぱく質で高飽和脂肪食を楽しんでもらう
です。そうです。おそらく微量元素的な栄養も大事だとは思います。でも、それは土台がないところでインテリアや動線を気にしている建築家みたいだなと。身体の多くを構成するたんぱく質と脂肪の質をしっかり保つことが、一番の治療だと思います。そして、これは私の目標になるんだと思いますが、
妻とアドラー心理学(岸見先生の)的な人間関係を構築する
です。そうです。ここで「かわいそうな妻、私が助けてあげるよ、心配しないで」なんていう言葉をかけたり、対応をしてしまえば、それこそ妻のためにならないでしょう。別に私は何の病気の診断も受けていませんが、私や子が明日死ぬかもしれないし、家族が誰か死ぬかもしれない。そうなったときに、課題の分離が苦手で、舞台の上でスポットライトを浴びて生きているんだという感覚をあまり持てていない妻は、おそらく多くの時間を悲しみとともに過ごしてしまうでしょう。もう想像に難くない(笑)。いつか必ず立ち直るとは思います。ただ、悲しんでいる時間はもったいないので、最小限にしてもらいたいなと。こっちだって死にたくて死んだわけじゃないのに、妻にまで悪い影響があったら報われませんよ。

なんとなく、4月を新たな気持ちでスタートできそうな気がしてきました。こういう大きなイベント(?)は生き方を考える機会になって良いですね。物質は満たされているのに、心が満たされないような環境にいるなんて、21世紀って感じです。しかし、22世紀には心身ともに満たされる方法論がしっかり確立された世の中であって欲しいですね。そのために、自分が一人静かに一歩を踏み出す(と勝手に思い込む)ことに意義を感じる今日この頃です。

2015年3月18日水曜日

「自分が正しい」と思うことについて Part 2

自分が変な新興宗教みたいな考えに向かわなかったのは、アドラー心理学のおかげです。正確には岸見先生と古賀さんのおかげです。「嫌われる勇気」を読んでいなかったら、読んでいたとしてもアドラーの考えに賛同できていなかったら、「着想」を達成していたとしても、決して豊か人生ではなかったと思います。

「嫌われる勇気」の中で、このような一節があります。
ありのままのわが子を誰とも比べることなく、ありのままに見て、そこにいてくれることを喜び、感謝していく。理想像から減点するのではなく、ゼロの地点から出発する。そうすれば「存在」そのものに声をかけることができるはずです。
つまり、「ここに存在しているだけで、価値がある」ということです。「人類皆平等」とはちょっと違う意味なんだと思いますが、内閣総理大臣と生活保護を受ける人との間に、人としての大きな価値の差はないんじゃないか、という考え方です。もちろん、大きな影響力を持っている内閣総理大臣は「政治」というその中で重要な役割を果たしているんだと思います。しかし、内閣総理大臣という「役割」自体はその人以外も遂行可能なものです。 むしろ、他の人もできなければ成り立たない制度ですよね。でも、その内閣総理大臣をしていた「人物」に変わりはいない。家族がいたかもしれないし、家族よりも大切な友人がいたかもしれないし、飼い犬に最も頼りにされていたかもしれないし、その人のブログが誰かに頼りにされていたかもしれない。

考えてみると、至極真っ当なお話。社会的な「役割」が違うだけであって、皆同じ人間。つまり、学生だろうが教員だろうが、目標さえ共通の認識が持てていれば、学生が教員に新しいことを教えたっていい。ちょっと論理の飛躍かもしれませんが...。学生も教員も「学ぶ」という意味においては「仲間」です。ただ、ベースとなっている知識が違うだけ。教員だから「正しい」知識を持っているわけではない。大学での講義は、あくまでその教員がもつ主観的な理解において導き出した知見を学生が聞いた、というだけのこと。そこからどのような理解なり発展をさせるかは個々に委ねられていると思います。だから大学は面白い!と私は思っていました。

そうなんです。「正しい」っていう言葉に意味なんかないんじゃないか、というのが私の意見です。私の少ない経験上のことですが、社会的地位の高い人の多くは、「自分は正しいことをしている」という感覚が強いです。それだけ自分の考えや行動に有益さを感じている証拠なので、それ自体は問題ではないのですが、その「正しさ」をその他大勢にも求めようとしたその瞬間から、その「正しい」はまったく有益な意味を持たなくなります。アドラー心理学的には、他者の課題に土足で踏み入っていることになるからとなると思います。また、私は自分の視界の狭窄につながる、と思っています。自分が正しいと思って相手を論破しようとしているときは、すでに相手の立場に立とうとする意識がなくなっているからです。なので、物事もしくは論理を推敲できなくなっています。

今回私が最終的に言いたかったことは、「自分が正しいと思う必要なんてない。ワクワクすることはなんだろうって考えることが人生を豊かにする」です。

2015年3月17日火曜日

「自分が正しい」と思うことについて Part 1

もし、好きなように自己紹介をして良いと言われた場合、おそらくその場にいる人にとって私は「変わった人」と捉えられると思う。「少数派」であると思う。スネているわけでも自慢したいわけでもないつもりで、「変わった人」であり「少数派」であると思う。

このブログ内の記事をざっくりと読んでもらえれば、「なんとなく異質な印象」を持っていただけると思います。大学時代も、個性が強すぎて先輩から嫌われていた時期があったり、自己評価が高すぎたりした時期もありました。自己評価が高いというのはある意味今も続いていることだと思いますが、少し変化して「自己受容」寄りになってるんじゃないかなと思っています。

ストレングスファインダーをイケハヤさんのブログで知りました。


自分でもトライしてみたところ、下記の項目が該当しました。

着想

あなたは着想に魅力を感じます。では、着想とは何でしょうか? 着想とは、ほとんどの出来事を最もうまく説明できる考え方です。あなたは複雑に見える表面の下に、なぜ物事はそうなっているかを説明する、的確で簡潔な考え方を発見すると嬉しくなります。着想とは結びつきです。あなたのような考え方を持つ人は、いつも結びつきを探しています。見た目には共通点のない現象が、何となく繋がりがありそうだと、あなたは好奇心をかき立てられるのです。着想とは、皆がなかなか解決できずにいる日常的な問題に対して、新しい見方をすることです。あなたは誰でも知っている世の中の事柄を取り上げ、それをひっくり返すことに非常に喜びを感じます。それによって人々は、その事柄を、変わっているけれど意外な角度から眺めることができます。あなたはこのような着想すべてが大好きです。なぜなら、それらは深い意味があるからです。なぜなら、それらは目新しいからです。それらは明瞭であり、逆説的であり、奇抜だからです。これらすべての理由で、あなたは新しい着想が生まれるたびに、エネルギーが電流のように走ります。他の人たちはあなたのことを、創造的とか独創的とか、あるいは概念的とか、知的とさえ名付けるかもしれません。おそらく、どれもあてはまるかもしれません。どれもあてはまらないかもしれません。確実なのは、着想はあなたにとってスリルがあるということです。そしてほとんど毎日そうであれば、あなたは幸せなのです。

他にも4つくらい項目がありましたが、私が「変わった人」になった理由はここにあるな、と強く感じました。私にとっては可能な限り「着想」で占められる時間を大切にしたいんだなって思いました。おかげさまで、その強みを生かすことにためられいがなくなったことが私の少々浮き沈みが激しかった人生を少しずつ好転させていきました。うまく言えていないかもしれませんが「論理的にポジティブになれた」んだと思います。つまりは「自己受容」できたということです。アドラー心理学を勉強してみたり、1日1食やノンシャンプーに取り組めたのも、自分の中にある「着想」の欲求を満たすのに十分でした。多くの人は考えないであろう境地にいようとする自分を誇りに思えています。

やっと本題ですが、そうなってくると「自分の正当性を他の人にも知らしめたくなる」という欲求も生まれてきます。そりゃあ自分では、多くの人が取り組んでいない画期的なものに私は着手している、くらいの気持ちでいるので、それを家族や親しい人などに紹介したくなる。多少おおげさな表現ですが、「みんな、本当の真理を私は知ってますよ、教えてあげましょう」みたいな心境を持ちたくなる。もちろん、そういう想いにならないほうがいいんだろうな、ということになんとなく気づいているのですが、その理由を次回で書いていこうと思います。


2015年3月12日木曜日

1日に食べているタンパク質量を考えてみた

筋肉が減っているのが気になっていたので、今までのたんぱく質摂取量を計算してみました。その前に、自分に必要なたんぱく質量を考えてみると、一般的には体重1kgあたり1.0g〜1.5g程度と言われていますので、80〜100g/日くらい摂取すべきと考えると、参考メニューは下記の通りになります。

牛モモステーキ150g(約30g)
卵3個(20g)
鶏胸肉1枚(40g)

ご飯とかにも多少入っているので、その点は考慮していませんが、1日このくらい食べても損はないレベル。食べるの大好きな私は、この程度食べるのはわけないんですが、作るのが大変。この量だとさすがに美味しく食べたいですし。かなり意識して食べないとこの量は普段食べてなかったんだと思うと、やはり筋肉現象の原因は摂取不足ということが予測されるので、補っていこうと思います。

ここで気になるのは菜食主義の人たち。また、1日1食を極めた青汁しか飲まない森さん。私の勝手な憶測ですが、その方達は、たんぱく質源がなくても体内で生成できるようになっているんじゃないかと思います。人間のホメオスタシスにはそれぐらい秘めたる力があると思います。それが身体にとって良いか悪いかは今後100年以内にはわかって欲しいですね。

とりあえず私は、まだ肉を食べないという選択肢はとっておきたいので、今は食べます。美味しいですし。赤ワインと肉のマリアージュが味わえなくなるのは寂しい...。嫁さんは多大なる被害です。食費も上がりそうですし。コスパの高い鶏・豚・卵あたりのローテーションだったとしても、米よりは高いし...。今度はその経済性も見ていきたいですね。

2015年3月10日火曜日

1日1食継続中・・・体重「は」落ちた

隣のグラフを見ると、私の状況が分かるかと思いますが、筋肉も1kgくらい落ちていると測定されます。体脂肪率も朝と夕で最大3〜4%変わるので、一概に言えませんが、筋肉も落ちつつあるのかなという印象です。自分としては、たんぱく質を積極的に摂取していないのが原因かと思っています。1日1食開始前は、糖質制限を意識していて、今よりもかなり多くたんぱく質を食べていたと思います。とりももorむねを一枚/日くらいは食べていたように思います。

というわけで、今後はたんぱく質&プロテインをちょいと意識して食べてみようと思います。ちなみにプロテインは

に、柚子酢
と、ポッカレモン
を添加して飲んでいます。かなり甘ったるいプロテインが少し爽やかなになって飲みやすいので、かれこれ3年くらいはこの飲み方にしています。柚子酢を入れなくても、レモンだけでかなり飲みやすいと思っています。クックパッドに投稿したいぐらいです。ただ、このプロテイン、味がついているだけあってかなり添加物たっぷりなので、プレーンのものでもう少し安いものを探している状況です。

鶏肉の食べ方は、とりハムとかソテー、参鶏湯にして食べて行こうと思っています。妻が料理上手なので助かっています。体調や仕事の忙しさで作れないときもありますが、本人もダイエットになる意識があるので、作ってくれてます。

どうか筋肉が落ちませんように...


2015年3月6日金曜日

自分自身の「人生の嘘」 Part 4

「他者信頼」については、個人的に「自己受容」「他者貢献」の中で最も難しいと思っています。この「他者信頼」が崩れることから「自己受容」や「他者貢献」までに影響するパターンが多いと思います。
例)
他者「そんなんじゃダメじゃん」
自分(なんでそんなこと言われるんだ、こんな人に協力したくなんかない)

と、改行してみましたが、改行するまでもなく、人生において頻発する「批判」に対してよく起こる反応ですよね。では、他者信頼がしっかりしていると、どういう思考になるんでしょうか。他者信頼ができていれば、もし批判されたとしても、その批判は自分の全てを批判されているという極端な解釈にならず、「あ、この人には不愉快に思えることなんだ」や「なぜなんだろう」という建設的な捉え方にできるのではないかと思います。そのような捉え方になるためには、やはり「自己受容」や「他者貢献」の部分の骨格がしっかりしていることが必要になってくると思いました。

岸見一郎さんの投稿をもとに考えてみたいと思います。ここでは子どもの話に着目していますが、大人でも同様だと思います。メディアでは戦争や殺人など、「敵は身近にいる」ということを常に発信しています。敵を一人でも少なくするためには「他者信頼」を実践し続け、実践する人が増えることが一番の改善策のはずです。「嫌われる勇気」の中にもあって印象的だったのですが、「裏切られて悲しいときは、思いっきり悲しめばいいのです」と書かれていました。たとえ裏切られたとしても、信じ続けること、それが「信頼」なんだと。違う言葉を使えば「愛」「共同体感覚」なんだと思います。
私も、家族や親族に対しては「共同体感覚」に近いものを得られている気がしているのですが、「自分がしたいから(他者貢献を)やる」という感覚です。その「やる」内容はあくまで自分ができる範囲(得意な分野)のことですが、そのときは「むしろやらせてくれてありがとう」に近い感情があります。正直、その「やった」ことに対する相手のリアクションは期待してしまうのゼロではないですが、最近は少なくなってきている気がします。得られた「貢献感」で満足できる感覚。そうなってくると自家発電的に物事に取り組めることになるので、非常にECO(笑)

2015年3月1日日曜日

ワインの酸化防止ストッパー:Pulltex AntiOx

Pulltex AntiOxを使ってみました。

これは久しぶりの大当たりでした。

1000円Bordeaux赤に使用して4日経過...

バキュバンとか比べ物にならないです。というか、個人的にバキュバンは1日以内でギリその効果が分かるかどうかだと思います。真空にすることが却って悪い方に作用している気さえしていました。なんか酸がキツくなるのか、つんとする感じに味が変わってしまう。

それにくらべて、これは...もう感動です。抜栓直後との差はほぼありませんでした。これで心置きなくワインが残せるし、飲み比べなんかもできちゃうかも。上記したHPにはアロマ、アロマと何度も書かれていましたが、ホントにアロマが変わらないって感じでした。今度は白とか高いワインにも試してみたい。自宅飲酒を適度なものにできる気がしています。

1000円Bordeaux赤はまだ1/3残っているので、次は抜栓後1週間のときに試してみたいと思います。それほど美味いワインじゃないのに、このストッパーのおかげで感動している私です。

でも、ホントに最近はその辺のスーパーにも十分しっかりしたワインが置いてあるので、ブランドにとらわれず、色んなワインの味わいを体験したいと思います。高いワインは誰かが評価したり取り上げられたことで価格が大きく変動しちゃうからね。だから作り手のこととかが分かると本当はいいんだろうけどね。そこまで行くにはあと10年以上はかかるかな。

2015年2月28日土曜日

「橋下病」と診断されることには何の意味もないかもしれない

このブログのタイトルにもなっている「橋下病の妻」が橋下病と診断された理由は、「甲状腺の(おそらく良性)腫瘍がある」ただそれだけだと思われます。「甲状腺機能低下症」となれば、その名の通り甲状腺から分泌されるホルモンが低下して様々な症状が出現することを指しますが、橋下病は「自己免疫反応(と思われる)による甲状腺組織の障害」と定義されている(ヌーベルヒロカワ, 臨床病態学2参照)ため、健康な甲状腺にはない、なんらかの障害がある状態であればみんな橋下病、となる(たぶん)。

なので、妻の甲状腺に腫瘍が三つくらいあるのは自己免疫反応による組織の障害によって生まれたものだと予想しているのだろう。しかし、言われた方は.......


で?


って感じです。確かに、橋下病の人が甲状腺機能低下症になることは多いらしいので、リスクファクターのある患者を定期的に観察することは意味のあることだと思う。けど、一般的な病院でやってくれるとこってそこまで。もっとひどくなってから来てねって感じ。日常のマイナートラブルの相談にまでは対応できない(したくない?)。

だから、「橋下病」と診断されることには何の意味もないかもしれない、と思ったんです。

日々妻の症状と向き合うことが大事なのかなと。人間の恒常性ってすごい力を持っているんじゃないかなってずっと思ってきたけど、日々の食べるものだったり、過ごし方だったり、考え方だったりがすごく身体の恒常性に影響する。たぶん。気持ちが晴れるだけで初期の癌が自然に治ったりとかいうことがいつか科学的に証明される日が来ると思う。あ、それは少し証明されてるか。

というわけで、いつか妻もそれに同調して欲しいなと思い、1日1食にしてみたり、ノンシャンプーにしてみたり、ココアを飲んでみたりしている訳です。人間の恒常性をホントの意味で高めることは何かってまだはっきりしていないんです。たぶん。個人差も大きいでしょうし。だから、自分の身体は自分で向き合うしかないんだなと思います。

2015年2月27日金曜日

ワインと食のマリアージュは難しい

先日、神戸でワイン屋さん兼バーのお店にて一杯1200円の赤と泡、一杯2000円の赤をいただき、独り感動していました。ずぶの素人ですが、味わいと香りの複雑さと深さに引き込まれました。どうしてこんないい香りに感じるんだろう、喉を通過したときに感じる絵も言えぬ香りと味わい...もうね、最高でした。

チーズも一緒につまめるようなお店でしたが、お金もなかったので、注文しませんでした。そのとき感じたのは、「ワインを味わいたいなら食べない方が無難」ということです。たしかに、神の雫の世界で語られるようにマリアージュはあり得ると思いますし、私もそれに近い経験がありました。しかし、圧倒的に「はずれ」が多い。せっかく美味いワインだけども、一緒に食べる食事がどうしても味わいの邪魔になる。邪魔にはならないにしても、マリアージュはしていない。そうなると、ワインの味わいに対する集中力のようなものが阻害されてしまって、味と香りと感動が薄れてしまうなと。

なので、最近は食事前にワインだけ味わう時間を持つようにしました。自宅での飲酒を簡単に解禁してしまっていますが、飲むときは1杯と決めて飲むようには心がけています。でも、先日1000円のワインを飲みましたが、しっかりと味わえました。正直、そのワインははずれのワインでしたが、香りと味をしっかり感じられ、楽しめました。

これで多少身体にも良いんだから、一杯くらいならアルコールを飲んでる...など気にせず楽しもうと思います。

上記したワインバーで飲んだワインはブルゴーニュとシャンパーニュでした。個人的にブルゴーニュは特に食とのマリアージュが難しいと感じています。なので、次回は久々にブルゴーニュを購入してみたいと思います。

2015年2月24日火曜日

1日1食に我慢は必要ない

かれこれ1ヶ月と半月が経ちました。個人的には「食べるのを我慢しなくては」という気持ちはありません。「晩飯まで我慢する」という感覚はありますが、これは禁止というよりも「晩飯が楽しみだ」という感覚なので、辛くありません。

高級ホテルに泊まる機会があり、二度寝する時間もあったので、朝食をたらふく食べてみました。食べ過ぎたこともあるのでしょうが、もう身体がだるくて仕方なかったです。相当美味い昼飯の機会以外は積極的に食べようとは思わないんじゃないかと思います。

前日にかなりお酒を飲んだときもありました。だいたい、そういう日の次の日は胃がムカムカするので、それを紛らわそうと蕎麦やラーメンなどの塩っぱいスープの麺類を食べたくなるのですが、今回はあまりそういうこともなく過ごせました。頭痛や口渇など、二日酔いの症状はいつも通りほぼ水分だけで日中を過ごしました。不思議なのは、胃もたれをあまりしなくなった感覚があります。1日2食のときは、必ずと言っていいほど二日酔いには胃もたれの症状があった私ですが、最近はほとんどなくなりました。現在の二日酔い症状は、時々ピリッと痛む頭痛と口渇、あとは睡眠時間も減ってだるさが残る感じです。

さらに不思議なのは、空腹でも昼寝ができるようになったことです。腹が減ってると眠れないことがよくありましたが、今は空腹が普通の状態なので、前日深夜まで飲んでいたりした場合は昼間もウトウト...昼飯を食べていた時は昼寝で数時間眠ってしまうことはザラでしたが、今は15分くらいでスッキリ目が醒める傾向です。ここまで良いことばかりだと思わなかったですよ、1日1食。

2015年2月18日水曜日

自分自身の「人生の嘘」 Part 3

自分は「自己受容」が欠けていた。いや、正確には「自己受容が欠けているフリ」なのかもしれない。自己受容ができていないことを理由にして、「挑戦」をしないことへの言い訳にしている面もあるかもしれない。

ここで、「自己受容」の内容が大切になってくるかもしれない。私は勝敗思考を持つ傾向があるため、他人との比較から完全に抜け出せていない。そのため、私の自己受容の思考は「あの人に比べれば自分はまだマシだ」ということを内包したものになってしまっており、本当の意味での自己受容はできていないと感じている。

ここまで考えてみて、「自己受容」を理解できていないことに気付いた...かっこ悪い。いやいや、自己受容について考えているだけでも十分だ、と思えれれば自己受容になっているのかな。大事なことは過去の自分と比較することかもしれない。以前の自分よりはこんな「変化」があった、のような視点で見ることができていればいいのかもしれない。「成長」という言葉ではしっくりこない気がしている。「成長」しているって、他者評価的な意味がこめられている気がしているから。「あなたも成長したね」なんて、自分の子どもでさえ使いたくない言葉ですね。「前よりもこんな風になったね、変わったね」っていう話し方だと、自分の考えていることが伝わりそうな気がしてる。

自己受容のことはまだまだ理解できていないけど、少し気分を変えて、次は「他者信頼」について。

2015年2月17日火曜日

【ノンシャンプー】半月経過

ノンシャンプーの記事に若干のアクセスがあるため、追記していきます。やっぱり、痒みが5〜6回/日に出現しますね。でも、日々弱くなってきてる感じです。頭皮は見れていませんが、前頭部には目立った赤みはない感じですね。3日間ほどASPIREのエッセンスを塗りたくっていましたが、あまり実感がないし、もったいないのでやめました。

洗っているときの感触としては、やはり頭皮に皮脂がある感じはします。シャンプーしていたときよりはずいぶんと皮脂感は減りました。が、やはり指の腹で頭皮をゴシゴシすると皮脂がつく、という感じ。髪をバサバサすると、頭の匂いはします。昨日ノンシャンプー洗髪後、嫁に嗅いでもらいましたが、やはり皮脂の匂いはするようでした。しかし、シャンプー直後の匂いではないものの、鼻に髪が触れるくらい近づかないと匂いはわからないようでした。めっちゃポジティブに捉えてるだけかもしれませんが、悪臭を放っているわけではなさそうです。

ノンシャンプーを開始して1ヶ月も経過していなかったんですね。まだ開始後の急性期?にいる状況かと思いますが、その割に順調な経過をたどっているんじゃないかと思います。日々の風呂が暇すぎてお風呂掃除ができています。もう少し頭皮の匂いが少なくなれば最高なんですが...4ヶ月経過するまでは我慢ですかね。

2015年2月10日火曜日

【ノンシャンプー】頭皮の炎症...

一昨日髪を切ってきました。美容師さん「頭皮に炎症おきかけてますね」...なにーーー。確かに痒かったけど。妻にも確認してもらうと「全体的に赤いところが点在している感じ」的なこと言われ。仕方ないので、自然派化粧品でおなじみのASPIREのエッセンスで対処。価格の高いものだが、まるでワックスを使うかのように使用。痒みは軽減しました。やはり急にシャンプーやめてしまい、皮脂分泌過剰に耐えられなかったのか。

感覚としては、皮脂の分泌はかなり減った気がしています。夕方にベタつきはほぼないかと。むしろ丁寧に湯シャンしすぎなのかな...とりまエッセンスを塗って様子みようと思いますが。まだ1カ月しか経ってないし。我が子も毎晩お湯をかけるだけの清潔援助しかしていませんが、いたって真っ白できれいな頭皮。羨ましいです。

2015年2月7日土曜日

ノンシャンプー後の経過

シャンプーをやめて何日たったんでしょうかね。いたって好調です。時々痒いときもありますが、それはシャンプーしてた時の方があった気がします。不思議なのは、夕方になったり汗をかいたりしても、頭皮のベタつきや匂いが強くならないところですね。正直、頭の匂いはシャンプーしていたときの方が少なかったと思いますが、夕方になったときの匂いはシャンプーしない時の方が少ない気がします。枕の匂いもキツくなくなった気がします。

あと、自分の脂?が天然の整髪料になると言われていましたが、本当にそうで、毛の根元が立ちやすくなりました。ドライヤーで軽く当てるだけで髪を流すくらいのスタイリングは可能です。前はペタッとしてしまっていたので、髪を乾かすだけでなんとなく形になるので嬉しいですね。髪がしっかりしてまとまるようになった感じ。

問題の薄毛はそんなすぐ変化はないかと思いますが、一本一本がしっかりしたので、薄毛の印象が多少緩和された気がしています。あくまで主観的な印象ですが。なんとなくですが、机の上で作業しているときに落ちる髪の毛の本数が減った感じはしています。改善しなくてもいいので、今の現状を50代くらいまで維持できたら十分と思っています。

そして、お風呂やシャワーにかける時間がおよそ半分になったので、得した気分でいます。基本的に流して終わりなので、暇だなと思ってちょっと排水溝の掃除したりする余裕が朝にあります。むしろ、シャワーとかあんまり身体に浴びない方がいいんじゃないかとすら思うようになってきています。最後にふきあげるときに汚れ落ちるだろうし、本当にざっとお湯を身体に当てるだけで十分なんじゃないでしょうかね。

1日1食もしているので、毎日身体の変化が楽しみに過ごせていますね。痩せて薄毛が治ったらちょっと自意識過剰にならないように注意が必要そうです。

2015年2月5日木曜日

自分自身の「人生の嘘」 Part 2

他者貢献を突き詰めてみると、結局誰かに貢献しているかどうかなんてわからない、という結論にしたくなる。「嫌われる勇気」の中でも引用されていた事例ですが、職場の掃除をしても誰も気付いてくれなければやる意味がないと判断する。確かに、今の私ならそう考えている。だから、費用対効果を考えて労力から得られる結果ばかりを考えて、じゃあ結局その場に合わせてフラフラ過ごしていた方がいいんじゃないの?と思っている。

ここからが本題かと。じゃあどういう思いで「他者貢献」を考えればいいのか。それはやはり「自己受容」「他者貢献」「他者信頼」の3つをバランスよく保てているかが重要になってくる。3つのどれが欠けてもダメ。

先ほどの掃除事例で欠けていたのはまず「他者貢献」。掃除をしたことで得られるメリットを「他者からの見返り」という視点で捉えてしまっているため、毎日掃除をすることで得られる見た目の綺麗さ、(綺麗に保たれているということが良いかどうかは汚くなってから気付くことですが)綺麗さで得られる爽快感、邪魔なものが足元にないことによって安全性も高まります。こんな私でも3つくらいメリットをあげられたので、他の方が考えればもっと出てきそうでそうです。

次に欠けていたのは自己受容...

2015年2月2日月曜日

自分自身の「人生の嘘」

人生の嘘とはアドラー心理学の中で出てくる言葉です。きっと、日々人生の嘘によって形成されていると言ってもおかしくない気がしている。ちょっとネガティヴになっているが、人生の嘘をなくすことは自分の人生に責任を持てるということかなと思った。まずは自分自身の人生の嘘はどんなものがあるかを考えてみたい。

仕事をしていると、どうしても仕事以外の自分が興味を持つ方のことが気になってしまう。今の私はまぁいいやくらいの気持ちでそんな自分の「決断」、つまり自分が「善」となる部分に従っている。では、その「善」は自分が望んでいたことだろうか。変わろうとする「勇気」が持てていないのではないだろうか。意味があるかどうかわからない仕事を続けて何になるんだろう、それなら別にそれに取り組む必要がないだろう、と思っている自分がいる。

ではなぜそのような自分を変えられる「勇気」を持てていないのだろうか。まず、何かを変えたいと思うのは、劣等感から生まれる。健全な劣等感とは「理想の自分」との比較から生まれるもの、らしい。「理想の自分」を考えるときに大切なのは、世俗の競争から身を引いて考えることだと思うので、その点に注意する。さらに、「自立すること」「社会と調和すること」が行動面の目標、「私には能力がある」「人々は私の仲間である」が心理面の目標となるため、その点も考慮する。

そう考えると、自分で言うのはおかしいことだが、行動面の目標に関しては達成していると言っていいのではないか。点数にして85点くらい。今のところ税金も払えているし、「社会と調和していない」と言い切れるほどのこともしていないんじゃないか。

「勇気」を持つためには「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」が必要と言われている。今の自分では、この3つのバランスを崩しやすいのではないだろうか。つまり、心理面の目標が達成できていないことが多い。他者を疑って自己受容ができなくなったり、こんな仕事が一体誰のためになるっていうんだっていう気持ちになったりして、バランスが崩れる。では、どんな場面で崩れてしまうのだろうか。それは「挑戦」が入った場合だろう。

今の私にとって、「挑戦」と言えることはたくさんある。交友や愛のタスクでは、大雑把な分析だが、横の関係が築けていないのが課題だろうと思う。しかし、今私が最も「挑戦」できていないのは仕事のタスク。仕事に取り組むときに一番「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」のバランスが崩れいる気がする。

しかし、「他者貢献」を突き詰めると...

2015年1月31日土曜日

岸見アドラー心理学

私は、去年の4月初旬に「嫌われる勇気」に出会いました。哲人と青年の対話が非常にリアルガチで面白かった、ぐらいで読み進めていました。




が、読めば読むほど自分の価値観が崩壊していく感じがあまりに楽しくて。その後半年間くらいは、アドラー心理学の考え方に支えられて、あまり大きく落ち込んだりすることなく過ごせました。しかし、最近また気持ちが安定してこない日々が続いていました。ヒューマン・ギルドという会社の研修に6万円を支払い東京にも2回行きました。研修を受けましたが、3日目になって「この人がもつアドラー哲学は共感できない」と思い、4日目の研修は欠席しました(もちろん許可を得て)。

そして、最近またアドラー心理学について読み直したいと思い、「嫌われる勇気」を読んだりしたり、ネットの記事を検索していました。そして、Googleのニュース検索で岸見一郎さんとの対談がいくつかヒットして読みました。

岸見さんと安藤さんの対談
http://diamond.jp/articles/-/48497
http://diamond.jp/articles/-/48497
http://diamond.jp/articles/-/48510

岸見さんと古賀さんの対談
http://diamond.jp/articles/-/64107
http://diamond.jp/articles/-/64119


やはり、私は「岸見アドラー心理学」に惚れたんだ、と思いました。非常にシンプル。目的論、自己受容・他者信頼・他者貢献、人生の嘘...。「嫌われる勇気」を読んで、少し分かった気になっていましたが、やはり分かっていなかった。原因論に立ち、自分の優劣や正しい正しくないに翻弄され、自己否定に走ってしまっていた。「何が正しい人生なのか」とか考えていた。大切なのは、自己受容して、より大きな共同体にいる他者への信頼、貢献をすること。それでいい。むしろそれができた日こそ「スポットライトを浴びておもいっきり楽しく舞台で踊れている」状態なんじゃないか。

自分が人生の嘘さえついていなければ、今やっていることがいつか誰かに貢献することにつながるはずである。半分妄想かもしれないけど、自分の幸福を構築しようとすることは、それが自分の欲を満たそうとする行動でなければ、必ず誰かの支えになる。妻や息子、両親や兄弟、祖父、友達...。彼らに貢献できるはず。その貢献は誰かと比べた瞬間から貢献する価値の優劣を含むものになってしまうが、それを比較するのは人生の嘘だ。

少し心が軽くなった気がした。悲しいときはおもいっきり悲しめばいい。

2015年1月30日金曜日

目標は体脂肪率10%以下。

今まで最も体脂肪率が低かったときは15〜17%くらいだったかと思います。今は左にある通り...。1日1食を実践することで、すごく体脂肪率が下がった人がいるのでこうならないかな、という「長期目標」です。生活に禁止事項が増えすぎている気がしますが、私にとって忍耐は何よりの苦痛なので、苦痛と感じたら辞めます。

もし、いつか(1〜2年後くらい?)達成できたら今の仕事辞めます。個人メディアで食べていきたいなぁ...。

2015年1月29日木曜日

シャンプーとボディソープをやめました。

私も人並み以上に頭頂部がスカスカになってきていました。安い育毛剤からまぁまぁ高い育毛剤、フィンペシアまで色んなものにほんの少しずつトライしてみました。最初にトライしたのはサクセスシリーズのシャンプーと育毛トニック。誰もが通る道てきな商品。これはたしかに爽快な洗い上がり。特に皮膚トラブるがあったわけではないけど、安いだけあって効果を実感できず、やめ。つい1年くらい前からはじめたのがスカルプD。はじめて使ったときは感動した。頭皮の脂がスッキリ落ちる感じがわかるし、髪もトリートメント使えば悪くない。トニックも使っていました。しかし、こんな高いシャンプー使い続けられるかな...と思っていました。

そんな矢先、まとめサイトで「湯シャン」のことを知りました。タモリさんも福山さんも実践しているという。陰部と脇以外は石鹸を使わないというのは私も実践していましたが、まさか髪にも...?と最初は半信半疑で、数日洗わないでみるなど試していました。でも私はまぁまぁの脂症...。やはり2日とか洗わないと妻から「頭の匂いがする!臭い...」と言われてしまい、断念していました。でも、常在菌が維持できるとか、エビデンスはなんとなく信用していました。

そんな矢先(Part 2)、下記の本に出会いました。



形成外科のお医者さんの著者にも惹かれましたが、内容は至極真っ当であると感じました。4ヶ月くらいかけてゆっくり「脱シャンプー」をしていけばうまくいく的な内容が書かれていて、納得。ゆっくり時間をかけるのは好きじゃないけど、ちょっと長期戦でトライしてみようと思いました。かれこれ10日くらい経過したでしょうか。フケは出るものの、肩などについていないか気にすれば対処できそうな程度。問題は痒み。シャンプーしてたときとは違う種類の痒みみたいなのが出てきた感じがします。週に一度くらいは残りのスカルプDを使い切る意味でも少量使用してみようと思いますが、一つ感じているメリットが。それはちょっと髪がボリューミー(主観的に)な感じがすることです。著書では、天然の整髪料になると書かれていましたが、そんな気がしています。

こうやって日々の生活コストがどんどん下がればいいなぁ。今のところ歯磨きもほとんど歯磨き粉を使っていませんし。使わない方が口臭がしない気がします。毎日のようにおこなっている、シャンプー・リンス、ボディソープ、歯磨き粉などは人間の恒常性を邪魔してばかりいたのかもしれません。

2015年1月28日水曜日

自宅での飲酒をゼロにします。

変な禁酒宣言ですが。私にとって飲酒は脳に合わないものになってしまったのかもしれません。先週調子にのって一週間毎日のようにワイン半分とか飲んでいたら、精神的に安定しない状況になってしまいました。調べてみたところ、私は熱型うつっぽい感じで、お酒はあまり良くない。自分でもそれは感じていたし、節約のいい機会にもなるだろうから、これを機会に家では飲まないことにします。1日1食に合わせて、宅飲み禁止...続くか不安になってきました。

2015年1月27日火曜日

うつと東洋医学

ここ数日、いつも以上に思考が悪い方向にしかいかず、調子が悪い。こんな怪しそうなサイトを熟読している自分が弱すぎて...

原因は日々の飲酒もしくは好転反応だと信じたい。

今日から自宅および家族との食事での飲酒をやめます。お酒を飲むのは親族もしくは友達との食事の際だけにします。

2015年1月26日月曜日

ココアでやる気が出るか

1日(準)1食に続き、人体実験シリーズです。ココアの驚くべき効果を改めて認識したこと且つ最近の物忘れ具合とやる気のなさに嫌気がさしていましたので、ココアにトライです。現在は昼飯として黒すり胡麻味噌汁を飲んでいます。15時頃、ちょっと何か食べたいなと思ったら豆乳もしくは黒酢ドリンクを飲んでいました。それにココアを加えてみようと思います。

もちろん、森永ミルクココアとかは砂糖たっぷりなので、純ココアにしました。スーパーで買えばもう少し安くて、1個当たり300何十円です。大学に来ていればストックがあるので飲めますが、大学以外にいるときはどうしましょうという感じですが、そういうときはカカオが多いチョコとかでカバーですね。摂取カロリーが多少増えますが、誤差の範囲と思っています。牛乳は何かとアレなので、豆乳ココアにして飲みます。さすがに甘くないとアレかなと思ったので、ノンカロリーの小分けシロップも加えます。

1日1食が節約になるかなと思ったけど...黒すり胡麻味噌汁(推定50円)と豆乳ココア(推定50円)くらいなので、今のところ大丈夫かな。どうしましょうね。身体に良いと思って色々追加し過ぎることがないようにしたいと思います。

調べてみると、スタバでも甘くない豆乳ココアが注文できるようだ。「ノンホイップソイココア」。高くつくが、出先でもココアが飲めるとなれば良いかもしれません。ちょっと気分転換にもなるだろうし。実はコーヒー飲むと眠れなくなるもしくは動悸がする体質でして...これでスタバでもエンジョイできますね。ごくたまに出張先でスタバで作業するときあるし。いい発見でした。

2015年1月25日日曜日

何かに執着するということ

坂爪さんのブログを読んだ。

【未完の死生論】「死」は悲しいことなのか。ー 保証されているのは「昨日」でも「明日」でもなく、目の前にある「今日」という瞬間だけであるということ。

執着しないことがカッコイイと思い始めていたけど、そうじゃない気がしてきた。「失うことを恐れない」ことがカッコイイのかもしれない。生きている「今日」という瞬間は大切(執着)にした方がいい。けど、それは「明日」にはなくなっていることかもしれない。「昨日」あったからといって、今日もあるかはわからない。その絶妙なバランス感覚(?)が必要なのかもしれない。

将来こうなりたいから「今日」を頑張る。これは一般的に褒められるべきこととしてみられるかもしれない。けど、将来という「明日」に執着してしまっている。「今日」という1日を大切にすることの幸福感を得られれば、将来どうなろうが、昨日どんな目に合おうが、ワクワクして生きられるのかもしれません。アドラーに戻るけど、「嫌われる勇気」にあった、舞台に立ってスポットライトを浴びてダンスを踊るような感覚と同じかな。「今日」を大切にしてダンスを踊る。難しいですね、将来に執着することなく「今日」を大切にするのは...下記も坂爪さんブログから引用(の引用)。

2015年1月24日土曜日

1日1食継続して15日くらい経過


地味に15日以上経過していたんですね。びっくり。そんなに頑張ってる感じもなくなってきたし、昼飯にすりゴマ味噌汁が定着してきたし、「俺昼飯食ってな〜い」っていう意識過剰なところも薄れてきたし、考える時間が増えた感じです。

ただ、残念なのは「物忘れ」的なのが増えてきた。柴田さんもそうだったみたいだけど、記憶を思い出すのが難しいことが増えてきましたね。居酒屋を予約した時間を忘れたり、1カ月前に予約したけど予約したかどうかを忘れたり...元々記憶力は非常に悪い方だったので、対策は立てられますが、ちょっと不安ですね...昨日息子が食べたものを保育園の連絡ノートに書こうとしても、思い出せない...仕事に影響しないようにリマインダーへのメモはより意識していかないとヤバいです。

2015年1月22日木曜日

嫌われる勇気とは、自分を受容するということ?

昨年4月に「嫌われる勇気」に出会ってもうすぐ1年...日々の思考の源はこの本の考え方にある気がしています。「この言葉は相手の勇気をくじいていないか」「自分のこの考え方は正しいのだろうか...目標とすべき社会との調和することにつながっているのだろうか」「嫌いな人を私の仲間であると思えない...どうしたらいいんだろう」などと日々考えるようにはなりました。「考えるようになった」だけで「行動は変わっていない」のかもしれません。ただ、自分が今までこだわってきたと思われる「勝敗思考」がいかにダメなことなのかを理解できて、日々の判断を勝敗の基づく考え方でしていない場面が増えてきているのは収穫なのかなと思います。

でも、やっぱり哲人のような腹が据わった感じにはなかなかなれない。自分をよりよくしたいという気持ちとそれを行動に起こせない自分の葛藤が強すぎる。「これでいいや」という気持ちと「頑張ろう」という気持ちを同居させられていない。自分自身を勇気づけられていない。この葛藤というか劣等感みたいな状況は正常なのだろうか。

私の考え方では、色んなことがどうでもよくなる気がしている。「何か人類にとって有益なこと」をしようという気持ちで日々の業務やすべきことを考えると、「別にやろうがやるまいが大きく影響はない」という結論に至ってしまう。じゃあ何のためにやるのか。そこは何かにこだわらなくてはいけないのかもしれない。「他者貢献をするんだ」とか「自分のワクワクを満たすため」とか。幸福になろうとすることにすがる(こだわる)とあまり良いことがないのかもしれない。しかし、何か芯になるものがないと、あっちいったりこっちいったりで芯がない。じゃあ自分の芯になるものは何かと考えると、バカみたいな結論だが、「好きな人と美味しい飯と酒を囲むこと」になった。これが自分のこだわっているもの。うまい飯を食うことをどうでもいいと思うことは、物心ついたときからほぼないし、これからも絶対になくならない。
本田健さんの書籍で、「飯を食うということは生理的欲求であって、ワイフワークにすべきではない」的なことが書かれていて、軽くショックだったのですが、やはり「好きな人と美味い飯と酒を囲むこと」がなくなることを想像しただけでゾッとする...私はそこにこだわって生きてもいいのかもしれないと思った。それを軸にして「社会との調和」を保てるのかなと思う。

我ながらひどく支離滅裂な文章だな...頭に浮かんだ言葉を記述するとこうなる。

通勤ウォーキング

THE NORTH FACEのShuttle Daypackを購入し、通勤に使用しています。リュックはいいですね。以前はひらくPCバッグだったのですが、歩いていてもかばんが邪魔にならないことの幸せといったら...チェストストラップもついているので、かばんが揺れるのも最小限で快適です。

立ったままかばんの中のものを取り出そうとすると、チェストストラップを外して肩から下ろすという動作になるので、それがちょっと手間ですが、これから慣れてきそうな感じです。

やはり道具を整えると最初はやる気が出ますね。今週は今のところ毎日通勤ウォーキングできています。帰るのに時間がかかるのが難点ですが...走れるようになれば30分前後くらいで行けるようにならないかなと思ってますが...。継続するのは大変だ。

職場と自宅を全て自力で往復すれば確実に3200Fuel/日を達成できるので、基本的に車を使わないようにしたいですね。休日はどうしても車ででかけることになってしまうこともあるのですが、子どもが電車に乗りたいということで地下鉄移動も増えてきたので、そこで稼ぐ感じですかね。

2015年1月21日水曜日

1日1食は長期戦?

こんなサイトをみつけました。この柴田さんの経験からすると、約4ヶ月の期間が必要のようですね...今でもそれなりに恩恵は感じているけど、確かに空腹で食べることを優先的に考えてしまうのは消えないし、夜にどか食いして体重は増えて来てるし...もう少し長い目で見ていきましょうかね。あんまり禁止事項も増やさず。でも、今のところ休日も1食生活を継続できているので、大丈夫そうかな。休日の昼飯に美味い蕎麦を食べに行けなくなったのが残念だけど、節約になっているし、禁止にするつもりもない。飯を食うのは本当に美味いと思うものが食べられるときor夕食だけということにしたい。

2015年1月16日金曜日

1日1食生活は楽ですね

最初の1週間はそれこそ頭痛に悩まされました。初めて朝食をなくしたときはちょっとボーっとなったりする程度でしたが、心地よい空腹感でした。今回のように昼飯を食べない場合、結構頭痛がひどかったですね。「何も食べないぞ!」と息巻いて、お茶しか飲まなかったのが良くなかったのかもしれませんが、今は昼にインスタントの味噌汁もしくは濃縮還元野菜ジュース、合間に黒飴など食べています。それらを食べなくても頭痛はしなさそうですが、味噌の効能はすごいみたいなので、とりあえず様子をみながら食べています。

すごく仕事に集中できるようになったわけではないのですが、午後の身体・頭が「楽」になった気がしています。昼食を食べて1〜2時間後には眠くなったりしていましたが、それはほぼ皆無になりました。あと、食べなくてもお腹が鳴らなくなりましたね。前は食べていても16時くらいにはグーグーなってましたが、それがほとんどなくなりました。

小林弘幸先生の著書のどれかで、交感神経と副交換神経のどちらが優位な傾向にあるかを調べる質問票に記入したら、副交換神経の方が優位だと診断されました。これって決していいことではなくて、要は常に体に力が入っていない状態と診断されたということ。この無気力な自分に納得がいきました。で、1日1食にすると胃腸が使用されないので、若干ですが戦闘態勢でいれてる気がします。前は、食べ物が胃腸にあるからそちらを優先しようとしてダラけてしまっていたけど、今は胃腸がほぼ空っぽの状態でいれているので、副交換神経を使う理由がなくなってしまっている状態なのかなと。だから食後の脱力感や眠気はほぼなくなりました。素晴らしい。

きっと、自分の身体の状態を常に感じることが大切だと思うので、あまりストイックにならずに、身体状況をみながら実践していくことが大事でしょうね。「食べなくても普通」の状態に持っていければ、節約になる時点でかなりのメリットなので、まずはそこを目指していこうと思います。体脂肪も思ったより減らないし...あまり過度に期待してもね...太らないってだけでありがたいと思います。だって、毎日2000Fuelいかないんですもん...

2015年1月15日木曜日

「成長」ではなく「変化」が大切だと思う

「成長」ではなく「変化」こそが楽しい by イケダハヤトさん

以下、引用

「成長」ではなく「変化」こそが楽しい

昔は「成長」が楽しかったんですよ。ゲームのレベル上げとか大好きで、レベル50もあればラスボスを倒せるのに、なぜかレベル99まで上げてラスボスをボコボコにしてました。ブログのアクセスも同じで、徐々に増えていくのが楽しかったんですよね。
ここ最近は、それよりも「変化」が楽しくなってきました。ブログでいえば、単純にアクセスや収益を伸ばすことよりも、作風を変えることの方が、ワクワク感があるんです。作風の変化によってアクセスが下がったとしても、なんら問題はありません。昔はアクセスの減少が怖かったんですけどね。
変化を楽しめるようになると、人間は強いなぁ、と感じています。成長は上にしか行けませんが、変化は横にも下にも行くことができます。変化を楽しめる人間は、スランプですらも楽しめるわけです。これ最強ですよね。

大学教員としての「成長」と、私にとっての「変化」

私は助手で、教員としての経験は少ないし、教員として任せられていることも少ないです。私が教員として「成長」するとすれば、職位を上げ、講義するようになったり研究業績を積み上げたりすることだと思います。
しかし、それだけだとつまらない。何をもって「成長」とするかを考えれば考えるほどつまらない感じがしてくる。「成長」って足りないものを見つけて、不足部分を補おうとする行動と捉えてしまっているせいもあると思いますが、それって非常にネガティブな出発点じゃないですか。優越コンプレックスに入らないように注意しているつもりですが、いまの自分がそんなにできないダメなやつだ、ともあまり思いたくない。

だから私は「変化」こそ楽しいんだと思います。イケダ先生と視点が違うかもしれませんが、「変化」は昔の自分と比べて変わること。別に優劣とか上下とかない。だから出発点もポジティブな感じがします。「あなた、成長したね」とか言われるとすごく違和感がある。そのように言う人は自分があなたより上の立場にいると誤解している点です。ま、自分で言わないようにしていますが、つい学生に言ってしまうこともある...けど、自分の思考では誰が偉くて誰が偉くないという思考から早く脱却したいです。

私が「変化」するために大切にしていること

自分はただプライドが高くて、ただただ今の自分を否定されることだけが嫌な30代男性に思われるのは辛い。たしかに、ぬるま湯に浸かっていたいという気持ちがあるのでなんとも言えないのですが、少しでも「変化」しようと日々工夫していることがいくつかあります。

「変化」があることを楽しむ
ただ漫然と大学に勤めていても色々な「変化」があります。新しいシステムが導入されたり、文科相からの方針が発表されたりで、大学内の業務が変わったり増えたりします。楽しいものも楽しくないものもありますが、私にとっては「変わる」ということには常にポジティブでいられている気がします。変わることって楽しいですよね。ダメでも良くても次の一歩に踏み込んでいる気がしてます。

本を読む
これは太古の昔から言われていることですが、やっぱり、違う人の考え方をいつどこにいても学ぶことができるというのは非常に有益ですよね。一冊一冊をじっくり読むより、目次などから自分の興味があるキーワードを拾って読むのが好きです。自分の常識が崩される感覚がたまりません。

直感に従う
よーく考えてしまうと、考えているうちに時間が経ってしまい、何もしないで終わってしまう。直感が舞い降りてきたら(?)とにかく誰かに話してみたり行動してみたりするようにしています。しかし、私はまだこの「直感に従う」というのはあくまで常識的な範囲にとどまっている気がしています。ある種「チャレンジする」ということにビビらず行動できるようになりたいなと思う今日この頃です。


どちらにしても、私は恵まれた環境にいますね。
感謝感謝。



2015年1月13日火曜日

1日1食継続中

週末は研修を受けに飛行機で移動したり、会議室にこもってずっと座っていたり、という感じで過ごしておりました。

1日1食に伴う頭痛もだいぶ軽減してきました。できるだけ水分を摂るようにしていますが、別に利尿作用のある飲み物でもないはずなのに、飲んだ以上に尿が出ている気がします。

土曜日の夜は卒業生と飲みに行き、焼き鳥屋で日本酒3合とビール2杯程度、締めの一人屋台ラーメン...ここでかなり胃はパンパンでしたが、別腹とは怖いもので、コンビニでホイップチョコパンを買ってしまい、食べてしまいました。
日曜日の夜もこれまた胃がはちきれるほど蕎麦居酒屋で食べた後、深夜に自宅へ着いたもんで、夜食のコンビニパスタとポテチと甘いスナック菓子...

深夜に食べるのはよくないよね...22時以降には食べないようにしたいですね。

しかし、まだ体重測っていませんが、少なくとも増えていなさそう。いつもなら昼も食べているので食べながら後悔してしまいますが、その後悔が少なくて済むのは良い効果かも。

でも、毎日毎日晩飯何食べるのかに思考向いてしまうのが非常に悪い副作用ですね...頭にとっても身体にとっても、1日1食が慣れれば大丈夫なんでしょうかね。

朝〜夕方の時間で食べて良いものの例は、ヨーグルト・プロテイン・豆乳・コーヒー(無糖)など、としてました。これらに加えて、味噌汁、黒酢ドリンクを追加しようと思います。

この寒い時期に味噌汁はかなり救われます。しかも、微量ミネラルが摂取できることに加え、少し食事を摂れたという満足感にも浸れる優れもの。しょっぱくて暖かい水分に惹かれますね。味噌汁のカテゴリーで他に選択肢を増やしたいですね。スープの類は良いけど、やはり味噌は身体に良いようだし、味噌汁に並ぶ他の選択肢が見つからないな。

2015年1月10日土曜日

1日1食にした30代男子が体脂肪量の変動を公開!

そんなもん誰も知りたかないだろうけど。

左にグラフを表示することに成功しました。
クリックすると変動がわかります。

1月5日から開始した(実質1月7日から)体脂肪は1.3kg減ったことになります。筋肉も400g落ちてしまいましたが...

Fuelも公開できないか検討してみます。
運動量と筋肉量の変動をモニタリングできるかもしれませんね。

2015年1月9日金曜日

1日1食に伴う禁断症状

空腹が我慢できないっていうよりも、「食べるという行為」に対して禁断症状が出てくるという感じがしています。
食べのものに対する執着心が強くなってしまっている私には良い食事法かもしれませんが、やりたくない仕事を前にするとどうしても夕食のことばかり考えてしまいますね...

食事に代わる趣味を見つけなくてはいけないですね。

お金のかからない趣味と出会いたいです。

2015年1月8日木曜日

1日1食開始前の私の基本スペック

身長を記載すると身元がバレそうなので、体脂肪率を記載します。
1月6日(火)現在23.50%軽度肥満)です(朝6時頃)。
これはヒドイ...久々に測りましたよ。

計測器はTANITAの「RD−900」で、iPhoneとの連携が便利。
こんな立派な体組成計を購入しておいて、ほぼ使用していなかったため、嫁に叱られてました。


2015年1月7日水曜日

早速1日1食せず...

言い訳からスタートです。
一昨日の夜から震えが止まらなくなる悪寒があり、昨日1日仕事休んでしまいました。
葛根湯で悪寒は消え去りましたが、その後微熱くらいはあったかな。
ギリギリ先延ばししても問題ない仕事状況だったので、思い切って休みました。

そのため、自宅で一人過ごしましたが、やはり昼食を我慢できず...
11時にラーメンとすりゴマ玄米ごはん(1合!)を完食し、その後16時までウトウト...

今日は豆乳と糖類なしのヨーグルトくらいしか食べておりません。

色々考え直したのですが、やはり固形物は食べないけど、野菜ジュースだの生姜紅茶などは飲んだ方が良いのではないでしょうかね。

2015年1月6日火曜日

今日から1日(準)1食にしてみます

を購入し、やはり一度トライしてみようと思い、昨日から始めています。

今までも、一年に数十回は1日(準)1食にしている日がありました。
例えば、朝は水もしくはプロテイン、昼もプロテインもしくはコーヒー牛乳(砂糖なし)なんてことはありました。
それを継続しようとは思っていませんでした。やはり、1食だけにすることが不健康である(という印象)、がありました。
上述した本を読み、ちょっとトライしてみてもいいのかもしれない、メリットが多そうだし、試してみたい、という気持ちに変わりました。

自分で立案した1日1食ルールは以下の通り。
  • 朝〜夕方までは基本的に食べない。特に固形物もしくは糖質を多く含むものは避ける。
  • 朝〜夕方の時間で食べて良いものの例は、ヨーグルト・プロテイン・豆乳・コーヒー(無糖)など。(今はこれしか思いつかない…)
  • 夜は基本的に自由。制限なし。ただ、栄養バランスは考えれるようにする。

「やってみました!...」では動物性食品はいらないとか、水すらもいらないんじゃないかみたいな人まで登場しますが、現時点では採用しないということで。たんぱく質を多めに摂取することの恩恵を少し感じてしまっているので。私はプロテインを飲むようになり、傷が治りやすかったり疲れにくかったりしています。

さて、何日続くのやら。

とりあえず昨日は年末年始に暴飲暴食したことで、昼抜きはちょうどいい感じでした。
昼食べないのってホント楽なんだよね。考えなくて済むし。お弁当とかいらなくなって荷物も軽く、お金もかからず。

会議とかでお腹がなるのだけが嫌だけど。

身体の変化が楽しみです。