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2015年3月29日日曜日

学士(看護学)を取得した看護師と、そうではない看護師に違いはあるか? Part 2

なぜ、自分の適正に合った職場であったとしても、つまらなくなり、続かなくなるか。もちろん、一生続けたいと人も必ずいると思います。その人はその職場に「貢献感」を見出せたから続けたいと思うし、続けられたのだと思います。しかし「貢献感」だけで言えば、続けられなかった人も大なり小なり得られていたと思われます。・・・そうです、続けられるか否かの大きな違いは「楽しい」か否かに他ならないと思います。「自分にとって楽しいか否か」です。

「仕事の報酬は仕事」という言葉があるようですが、これは正にそれを言い当ててると思います。言うなれば、「仕事」という言葉が適切ではなく、「楽しさ」にしてもいいかもしれません。あまりかっこいい言葉ではないけど。「楽しさの報酬は楽しさ」。当たり前だろって感じになっちゃったけど。要は、仕事は義務ではなく自分を楽しませるためにあるということを前提にして「仕事」を捉えてみると、もはや仕事なんだから楽しくてやってるんだかわかんない、みたいなことになる。22世紀の「仕事」の概念はそうあってほしい。

看護師の離職率が高かったけど、ちょっと低くなった等々語るよりも、もっと「ヒト」が働たくなるような医療現場を作るために試行錯誤する方がベターなんじゃないかなと思ってしまう。医療っていう業界?がとても大きな影響力を持つようになって、医師や看護師は日々プロトコルに従った医療を提供していて、その過剰なサービスを提供するのために力尽き、考える力が残っていない。「ホントにこの医療って必要なの?」と。いや、正確には、考えているけど行動する時間が残ってない。割と安定した給料が提供されているのに、それを壊してまでそんなギャンブルみたいな行動をする価値がない。

自分を肯定したいだけなのかもしれないけど、私は「ホントは何が必要なんだろう?」って常に考えられる人でありたいし、ほんの少しでも良いから行動できる人になりたいと思っているつもりです。
話が長くなりましたが、学士(看護学)を取得した看護師は、常に批判的思考でいれて且つその思考に対して行動できる人であって欲しい、と言いたかっただけです。そうではない看護師との違いは、その批判的思考に伴う行動、にあるべきなんじゃないかなと思いました。


仕事をしないことに対する言い訳になりますが、私は仕事を多少おろそかにしてでも、批判的思考と行動に費やす時間を確保したいなと思っています。それが私の「楽しさ」になっています。

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