「嫌われる勇気」では下記のように述べられている。
自らの生について、あなたにできるのは自分の信じる最善の道を選ぶこと
これって、かなりの苦痛を伴うものです。「自分の責任」という言葉が重くのしかかる。「深刻」になってしまうのではないでしょうか。一方で、自分の価値はまず存在していることそれ自体にあるべきという考え方も述べられている。
何をもって「最善」と考えるべきなのか。それが一番問題のかもしれません。「善悪」で捉える必要がないとすれば、では「最善」とは「バランス」でしょうか?
仕事が自分のキャパシティーを超えていたときには、どのように捉えることが「正解」なのでしょうか。「正解」を探そうとすることがすでに「競争」に足を踏み入れていることになるのかもしれません。
競争で消耗しているのは、私自身なのかもしれません。
まずは一歩を踏み出すことでしょうかね。
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