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2015年1月25日日曜日

何かに執着するということ

坂爪さんのブログを読んだ。

【未完の死生論】「死」は悲しいことなのか。ー 保証されているのは「昨日」でも「明日」でもなく、目の前にある「今日」という瞬間だけであるということ。

執着しないことがカッコイイと思い始めていたけど、そうじゃない気がしてきた。「失うことを恐れない」ことがカッコイイのかもしれない。生きている「今日」という瞬間は大切(執着)にした方がいい。けど、それは「明日」にはなくなっていることかもしれない。「昨日」あったからといって、今日もあるかはわからない。その絶妙なバランス感覚(?)が必要なのかもしれない。

将来こうなりたいから「今日」を頑張る。これは一般的に褒められるべきこととしてみられるかもしれない。けど、将来という「明日」に執着してしまっている。「今日」という1日を大切にすることの幸福感を得られれば、将来どうなろうが、昨日どんな目に合おうが、ワクワクして生きられるのかもしれません。アドラーに戻るけど、「嫌われる勇気」にあった、舞台に立ってスポットライトを浴びてダンスを踊るような感覚と同じかな。「今日」を大切にしてダンスを踊る。難しいですね、将来に執着することなく「今日」を大切にするのは...下記も坂爪さんブログから引用(の引用)。



一、今日だけは、幸福でいよう。
二、今日だけは、自分の家族も仕事も運も、あるがままに受け入れて、自分をそれに合わせよう。
三、今日だけは、身体に気をつけよう。運動をし、身体を大切にし、栄養を取ろう。
四、今日だけは、自分の精神を鍛えよう。
五、今日だけは、だれかに親切をほどこし、気づかれないようにしよう。
六、今日だけは、愛想よくしよう。
七、今日だけは、今日一日だけを生き抜くことにして、人生のあらゆる問題に同時に取り組むことをやめよう。
八、今日だけは、一日の計画を立てよう。
九、今日だけは、たった一人で静かにくつろぐ時間を三十分だけ生み出そう。
十、今日だけは、恐れないようにしよう。特に幸福になることを恐れたり、美しいものを楽しむことを恐れたり、愛することを恐れたり、私の愛する人が私を愛していると信じることを恐れないようにしよう。
        (シビル・F・パートリッジ)

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