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2015年12月12日土曜日

息子が保育園に行くために私ができること

毎朝苦労していることは、息子を保育園に送り届けることです。アドラー先生の教えを実践したいと思うものの、大きな声を出して脅してみたり無理やり着替えさせてみたりしたりする日も多々あります。一体何がベストな、スーパーベターな選択なのでしょうか。

まず、私は誰も苦労することなく息子が保育園に行くことに執着していると思います。言われたことを実行してくれる理想の息子をベースにして関わっていると思います。だから脅したり無理やりしてしまうことがあるんだと思います。そして、3歳という子どもの理解力に合わせて関わることが難しいこともあります。意思疎通がどこまで取れているかはっきりしないため、息子が私の意図したことを実行してくれない理由が明確にわからないということも関係していると思います。
岸見先生の著書で繰り返し述べられているのは、「子どもは親の注目を得ようとしている」ということです。3歳になって、快・不快の他にも「承認欲求」が芽生えてきていると考えられます。親から、保育園の先生から褒められるために行動しようとしています。何か良いと思われること、例えばトイレでおしっこした時、歯磨きをした時、着替えをした時などを実行したことを教えてくれます。「偉いね」の一言を期待しての行動だと思います。そういうときに私が気をつけているのは、「偉いね」とは言わず「ありがとう」「(着替えをして)似合っているよ」「(トイレに行って)さっぱりしたね」などと言うようにしています。こういった言葉が良いかどうかはよくわかりませんが、息子がとったその行動がなぜ「良い」と思ったかを言うことで、着替えをしたり歯磨きしたりすることに対する意味づけ(その行動の理由を知る)をしてもらえたらな、という意図があります。
やはり、できていないことに注目することに執着することをやめない限りは、いつまでたっても「うまくいっていない感覚」から抜け出せないのかもしれません。息子も、静かに車に乗ってくれることもありますし、お風呂に率先して入ってくれますし、甘いものだけじゃなくお肉も食べてくれています。何よりも、今日も元気に生きてくれています。そんな有り難さを常に感じられないようでは、まだまだ修行が足りないのかもしれません。


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