広告

2020年12月23日水曜日

適度なストレスが大事かも

やる気にならないので、色々試行錯誤している。

無理やりやらされれば、意外に楽しいっていう経験が少しあったことを思い出した。

中学生くらいのときに、親に勉強しろと課された問題集に取り組んだことがあった。数日は続けた記憶があるが、だんだん親もどうでもよくなってきたのか、取り組んだことを報告してもフィードバックがなくなり、特にやらなきゃダメだって言われることもなくなったので、自然とやらなくなったことがあった。

自律して、内発的動機で取り組めるのって今の私には適していないのか、ある程度逃げられないようなストレスが必要なのかもしれない。

緊張が強くアドレナリンが全開になるようなストレスだとsustainableではないだろうし、そんな私を管理してくれるようなAIがあれば十万くらいなら買っちゃいそうだけど、その日の自分の体調に合ったゴールを導き出すことができれば良いのかな。基本的には自分に甘くなっているので、誰かに監視されていないと進められないのかと思われます。

ストレスがないこと、自分に適度なストレスをかけられないこと、ストレスを準備できていないことで、物事を進められずに自己嫌悪に陥って、それがストレスになってしまっているだろうな。

やらない理由を考えすぎるのも良くない、という理屈で5秒ルールっていうのが推奨されていたりするけど、取り組みやすい環境を整えたり、何をどういう風に実行するのかを具体的にしたりすることも不可欠と思われる。

2020年12月16日水曜日

サボりたいときに自分を整える3段階 〜認識と受容、プリミティブな欲求の充実、タスクの目的・締切・計画〜

 職場が変わり、ここでの仕事をこなしたり、論文の締切があったり、1〜2ヶ月くらいはストレスもかかりながらも、仕事してるな〜でもいつまでこの感じが続くな〜と思ってはいたけど、12月に入って、一気にサボりたい欲求が爆発している。実際にサボっている。いや、実際は11月くらいからもうサボりモードに入っていたな。

12月中旬になってやっと、このままで良いんだろうかと思い始めた。

その理由は、サボっていても楽しくないから。

自分の人生の目標も考えてみたら、美味しいお酒とご飯を大切にしたい人と一緒に食べる、というのが最も優先されるように思った。

じゃあ、ご飯を美味しく食べ、満たされた気持ちでお酒を飲むためにはどうしたら良いんだろう。

ライフタスクで考えると、仕事・交友・愛になるんだと思う。そこから逃げていると、一食入魂できない。

交友のタスク?って思ったので調べてみたら、他者との関わり、他者とどのように生きていくかを実践するタスク。マズローでいうところの社会的欲求とかあたりに当てはまるのかな?

サボっていては、日々のタスクは達成されず、どんなに食事の質が高くても、3種類の幸福ホルモンで脳内が充実することは難しい。

タスクに向かうために、自分を整える必要がある。そのために以下のことをしました。

サボっている自分に気が付く、受け入れる

これが結構難しいかもしれません。サボっていることを受け入れられず、罪悪感なんかがあるとよろしくないですね。今のサボっている自分でいいや、とか、そんな自分はダメだ、など評価せず、ただただ認識することからスタートだと思う。

プリミティブな欲求を満たすための方法を行動レベルで計画する

自分にザオラルやキアリク、混乱を解く魔法。パフォーマンスが発揮できていない自分を回復させる必要がある。

今回第一弾として計画したのは、

  1. プリミティブな欲求に従う(よく眠る、お酒を飲む、ゲームしたい、やりたいと思ったこと)
  2. お酒はできるだけ週末に
  3. リングフィットアドベンチャーで週1でも運動する(右膝の痛みを気にしながら)

この、プリミティブな欲求というのが結構無視できないのではないでしょうか。私は、アドレナリンが出やすくて、アクセルを踏みながらブレーキを踏んでいる傾向があると思っていて、ストレスマネジメントが下手くそです。言い訳でしょうが、今は乳児も家にいるので、夜の睡眠も乱れがちです。まずは、自分のプリミティブな欲求を認識して、その欲求を満たしていくことも必要と思いました。もちろん、最低限の健康管理のために、節酒と運動も取り入れていくべきでしょう。

仕事のタスクの目的と締切を明確にして、超スモールステップでスケジュールに計画していく

私にとって今最も重要な仕事のタスクは論文投稿だ。このことに気が付くことも大切なプロセスかも。自分の仕事で何が最も重要なのかを判別するのは、難しいかも。

論文投稿の目的は、一つ。美味しくお酒を飲むこと。なぜなら、受理された後に飲むお酒は格別に美味くなることが想像できるからだ。あと、昇給・昇格へもつながるだろう。それは自分でコントロールできるものじゃないので、気にしないようにしたい。

締切を考えるのも難しい。今回の場合は、誰かがどうこう言ってくれる仕事ではないし、本来は内発的に締切を決められる方がストレスは少ないはずなので、できれば、自分で決めたい。今回は、研究費執行の締切が良いきっかけになりそうだ。2月末に受理とならなければ、研究費が執行できないので、できるだけ早く投稿しなくてはならない。締切も決められそうだ。

スケジュールは、これから検討するが、やはりスケジュールに直接入れ込んでいくのが良いだろう。その際も、その日の計画した内容の進み具合で、次回の内容を再検討し、書き込んでいく必要がある。

以上の方法論は、私自身が自分のために考えた。セルフオーダーメイド?な方法論をこれからも考えたい。

2020年7月16日木曜日

今ここにある幸せに気がつくことが、次の行動への原動力

何か書いてみたら気持ちが楽になるんじゃないかと思って、ブログを書いている。

ここ1年くらいで、たくさんの変化があった。

良い変化と悪い変化と両方とも、たくさんあった。

これまで生きてきて、当たり前だと思っていたことが、有り難いことだったんだと気がつくようになった気がする。

辛いことはこれから起こる楽しいことへのフリだ、と又吉さんが言ってた。
辛いことは、楽しいことを楽しいと思わせるためにあるんだと思った。
試練があるから、それに比べたら今は楽だとか思えるんだろう。

だからといって、積極的に辛いことを経験しにいく必要はないと思う。
基本的には、やりたいことをやるのが人間の本能だと思うし、自分にはあえて辛いことを選択している時間はもったいないと思う。

やりたいことをやるときに、辛いことはないと思って挑戦するべきじゃないね。

じゃあ、何が自分の行動の動機づけになるんだろうか?
どんなことにも確証はあり得ない。確証がないから、期待していなかったから、不意に嬉しいことがあったときに嬉しいと思えるんだ。

その起こるかどうか分からない偶然を期待すれば良いのだろうか?

原動力は、今ここにある幸せを実感することかもしれない。
どんなに辛いことがあるときでも、今ここにあるプリミティブな幸せがある。

又吉さんの、フリ説を私なりに考えてみると、辛い出来事は今ある幸せに気がつくためのきっかけだ、となりますね。

その幸せに気がつけたことが、次の行動への原動力になるのかも。

岸見一郎さんの幸せになる勇気、というのはそういう意味なのかもしれない。

つまり、自分にある幸せに気がつくということは、次の行動をしてしまう自分に気がつく、もっと言えば、次の行動をしてまた傷つく出来事にあってしまうことに気がつくということだ。

幸せになることは、辛いことと表裏一体なんだろうか。

今の幸せに気づき、その幸せを知る。
辛いことがあれば、またコインを表に戻せば良い。
疲れたら、ときどきコインをしまえば良い。

今朝は、そんな風に考えていました。

2020年4月9日木曜日

身近な人から強烈に否定されたときの自分の行動

身近な人から、人格を否定されるようなことを言われました。
私にとっては、そのくらいのことを言われたと感じています。
言われたその日から、もう数ヶ月も経ちます。

今はだいぶ落ち着きましたが、その人が視界に入るだけで動悸や頻脈になることもあります。

そんなことがあった自分を、アドラー心理学的に考察してみようと思います。

否定された言葉を言われたのはほんの数分の時間でしたが、その人の私に対する見方が、あまりに建設的ではないと思いましたし、その人の周りへの影響力を考えると、怖くなりました。例えてみると、すごくみんなに好かれて頼られて実力のある人から、自分だけ見放すようなことを言われた感覚でした。

前から、私は好かれてないだろうという感覚はありましたし、その人の嫌な面が見えてきていた時期だったので、目的論的に解釈すると、私はその人から離れるために今の感情を作っているのかもしれません。もっと言えば、自分が否定された言葉も“捏造”なのかもしれません。その否定された言葉を録音していたのですが、未だに聞き直せてはいません。聞き直せないのは、ある意味否定された言葉が私の目的を達成するために必要な言葉だったので、実は違う意味だったかもしれないと思い直したくないからなのかもしれません。

その後、周囲の人にも相談し、多くの方に協力を得ることができ、距離を置けるよう行動できました。その影響で、私の生活環境も大きく変わろうとしています。

自分の選択が正しかったのか?と思うことはあまりないです。あまりに辛くて、辛いことから逃げ出しただけと言えば、それまでです。でも、反論するならば、ただ逃げただけじゃなく、違うことに挑戦し始めてもいます。

今回の否定されてしまった件でも、挑戦があったから起こった出来事です。挑戦に失敗したら、また次に挑戦すれば良いと思います。
そんなに真摯に頑張れるタイプではありませんが、挑戦を諦めてはいません。また自分なりに頑張れる環境を探そうとしています。

今回の選択で、今後の人生で大変になることも多いと思います。

自分で選択したという感覚があるので、後悔しても、それを誰かに責任転嫁するようなことはないとは思います。つまり、承認欲求に振り回されて選択した訳ではないということです。

かといって、今の自分のままで良いわけではありません。新しいことを習得できるよう、日々少しずつでも努力しなくてはいけませんね。優越性の追求が人生を楽しくしてくれると思っています。

今回のことで、誰かを攻撃するような言動は、できるだけない方が良いと思いました。

相手に意見したいときは、否定的な言葉を避け、慎重に伝える必要があると思います。言葉を尽くして、どうしていくべきなのかを一緒に考えられるように伝えるべきだと思います。相手の意見もできる範囲で聞いて把握すべきです。

今朝、息子が学校に行きたくないと言いました。
昨日も一昨日もそう言っていたので、その言葉を聞いて、私は感情的になっていました。
まだ低学年で理由も上手く説明できません。
自分が否定されて嫌な思いをした経験があったせいか、少し時間にも余裕があったので、一方的に意見するのではなく、時間をとって話し合うことができました。

行きたくない理由は、また友達から蹴られたりするかもしれないからだと言っていました。
私が今回経験した出来事と似ているなと思いました。私も逃げたくなりました。

ここで、私が息子に伝えたいと思ったのは、どこに逃げたいかを考えることだと思いました。そして、なぜその場所を選んだのかを考えることだと思いました。

学校に行きたくないと言ったのは、学校は何のために行くのかを考える良い機会になったと思いました。

何で学校に行くと思う?と聞くと、育つため、と言っていました。
私はそれを聞いて、何となく嬉しくなりました。嬉しくなった理由は上手く説明できませんが、子どもの成長を感じました。

学校は、幸せになるために行くんだよ、と言っていました。
幸せって何のことか伝わらなかったので、お仕事ができるようになるための練習だよって言うと、少し理解した感じでした。
だから、お仕事できるようになるためなら、小学校じゃないところでも良いから、違うところ探すこともできるよ、と伝えました。

話はそれましたが、できるだけ相手のニーズに合わせて対話をしていくことが必要だと思いました。