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2014年12月26日金曜日

冬(雪)の通勤ランニングを考えてみる

冬(雪)の通勤は濡れることが(あまり)ない
私の住んでいるところは雪が降ります。冬のいいところは、雨が降らないことだと思っています。
雪であれば濡れることもない(キンキンに冷えた日であればパウダースノー)ので、毎日の通勤を徒歩もしくはランニングで往復することが可能です。

着替えが必要ない
寒いおかげで汗もかきません。スロージョギング程度であれば汗ばむ程度。つまり、職場について着替えに時間をとられない。

バランス感覚と脳が鍛えられる(たぶん)
雪道は不安定です。スケートリンクのようにツルツルだったり...ボコボコに凍っていたり…そんな中歩くなり走るなりしようとバランスを保つのに必要な筋肉が鍛えられそうだし、脳もたくさん考えて鍛えられそうです。

デメリットは、防寒具に金がかかり、通勤時間が長くなる(かも)、転倒のリスクなどなど色々あります。

昨年の今頃から通勤徒歩に目覚め、週に3日くらいは実践できていました。
今年はそれをグレードアップさせたいなと。
ただ必要なグッズがまだ揃っていない...

現在のそうび
コート:安かったザラのコート
パンツ:たいていユニクロのメンパンorスラックス
インナー:上下ユニクロヒートテック

現在のそうびで、週に1日、たまに2日くらいは通勤徒歩をしています。
しかし、ひらくPCバッグはランニングにむいておらず...
新しいバッグの購入を企んでおります。

チェストストラップもついているので、スロージョグ程度であればそれほどゆさゆさしないのではないかと思っています。

欲しいな〜…ボーナスのおかげで気が大きくなっている...
と、おもいつつ、買ってしまった...
来週届きます。





2014年12月25日木曜日

食べない人たち〜不食が人を健康にする〜

食べない人たち〜不食が人を健康にする〜

まだ買ってもいないし読んでもいないのですが...最近愛読しているibaya通信で取り上げられていて、興味持ちました。

面白そう。

私も10年前くらいから朝食を(積極的に)食べないという生活をしています。ま、ホテルで朝食がついていたり、無性に食べたいときは食べてしまいますが。
朝食抜き生活でさえ、健康にいいのか悪いのかの議論に決着がついていない段階で、「不食」とは...

非常に画期的な着想で惹かれます。

ただ、美味しいものを食べることが生きがいである私にとって、「まったく食べない」という選択肢はない。が、1日一食という選択はアリだと思います。実際、昼飯も食べないときもごくたまにあります。

いや〜、読んでみたい。
ちょっと怪しい匂いも感じますが、この年末に読みたいと思います。



2014年12月12日金曜日

学士課程の看護基礎教育に何でもつめこみすぎで本末転倒

「大学における看護系人材育成のあり方に関する検討会 最終報告」ってのを少し読んだ。
私なりに少し要約すると、学士課程において文科省が学んで欲しいと思っている内容は以下のとおり。
  • 看護専門職としての実践および臨床推論能力
  • 多様化する個人のニーズに応えられる能力
  • 高度化する医療に対応できる能力
  • 物事に主体的に取り組める能力
  • 看護の発展・向上に資する研究能力

そんなに無理絶対無理
しかも、教えれば育つ能力ではないものもある...

ジャニーズ事務所所属のタレントはみんなしっかりしている傾向があるんだって。
色んな大変なことが重なってもジャニーズ出身は根性が違う、って言った映画監督がいたらしい。
その記事を書いた人によると、それはジャニーズで日々こなすことで身につくこと「だけ」ではなく、
非常に粗い目の振るいにかけられていることプラスで考えるべきらしい。

看護の世界も然りじゃない?
大学全入の時代に学士課程の乱立で、確実に多種多様な人たちが看護学部看護学科に集まる。
私も含めてw
そうしたら、あとは在学中に振るいにかけるしかない。
なのに大学は実習なんて出席すればよっぽでない限り落とさないだろうし、少なくとも入学者の8割は卒業できる状況。
振るいにかけられていない

そうやって卒業する人の8割は「とりあえず自力で飯が食えるように」と思って働きはじめる。ブラック企業みたいな病院にさえ勤めなければ、それほど困らず生活はできる。でも、そんな人に上記のような能力が備わるようにはとても思えない。私を含めて。

そこで、提案です。
3〜10人くらいの単位で上記のような能力を持つチームを作る、というのはどうでしょうか。
3本の矢、的な発想ですよ。

上記のようなカリスマ性のある看護師はいらない。強いチームであればいい。
お笑い芸人が養成所でコンビ組むみたいに、看護学科では卒業するまでにそれぞれの得意分野を生かしたチームができてて、そのメンバーで頑張る、みたいなのって、楽しいと思うんだよね。

苦手はことは他人に頼って、得意なことで自分が貢献する。
これって非常に持続可能だと思いませんか?



2014年12月11日木曜日

私がブログを書く理由 その2

前回書いた2件の投稿のような、一般には共感を得られないような思考を持ってしまった私が、家族とごく一部の友人と一緒にいる時間以外でそんな表現をできるのはこのブログだけ。多少時間はかかるし、目に見えた成果というのは得にくいけど、自分の思考を整理するには良い実感を持っている。

アウトプットする大切さ
とりあえず何か書く、表現することは普段あまりない。思ったことなんて、普通は「思う」だけで終了する。すごく話したくて、なんとなくでも聞いてくれそうな人が身近にいれば話したりすることで表現はされるけど、形に残らない。忘れん坊の私なので、どんどん忘れる。
言葉で表現できることなんてコミュニケーションの2割くらいしか占めていないらしいけど、実名公開する勇気も動画編集に時間と命(? )をかける勇気のない私には、ブログという表現方法が合っている気がしてる。

参考引用ブログ
最近はけもの道をいこういばや通信あたりも読み始めた。こんな個性的な表現ができるようになりたい訳ではないと思うけど、自分の考えを表現することを楽しそうにやっているので、マネしてみたいと思った。

怠け者教員生活の公開
最初は自分のようなダメな教員をさらけ出すのは恥ずかしかった。今もだいぶ恥ずかしいけど、(あくまで私の理解では)アドラーから学んだ通り、嫌われてる勇気を持たなくちゃいけないんだと思う。自分の判断を信じる。間違ってもいい。間違うことはダメなことじゃない。変わろうとしないことがダメなことなんだと。まずは今の自分をきちんとみることから。なんかレコーディングダイエット的な感じがする。

2014年12月9日火曜日

勝敗にこだわる思考がなぜクソったれなのか

忙しいな〜、余裕ない日々が(特に精神的に)続いていました。
なぜ、そんな余裕がなくなるのか。それは、
誰かに強く否定されていると感じているから
です。
否定されたときに出現する理屈として「自分が悪いから」「相手が悪いから」というのは置いておいて。なぜ自分はそんなに「否定されている」と感じるか。それは、
勝敗思考があるから
だと思います。

このことに気付いて、良い実感を感じながら、自分の価値観がどんどん変わっているのを実感している。
おそらく、今までの自分ーー今もそうだけどーーは恐ろしく勝敗にこだわっている。誰かを否定していないと自分の肯定感が持てないでいる。それは妻や親とか、非常に近しい親族に対してすらそんな気持ちを持ってしまっている。
その影響で、本来自分が取り組みたいことに気持ちをもっていけないでいる。(サボってる言い訳?自分はそんな気がしている。)

勝敗思考の自分が体感するデメリット

劣等もしくは優越コンプレックスの塊になる

他者と比較することで自分を肯定しようとすると、必ず自分よりも優れた(と感じる人)と自分を比較して劣等感(劣等コンプレックスになり得る)を感じずにはいられない。そうしていくと、自分を強く見せつけていないと安心できず優越コンプレックスに陥る。自分はこんな過去があるから今この程度なんだ(そんな過去さえなければ…)、だけど本当はもっとスゲーやつなんだぜ、という気持ちのまま生きることになる。そんな偽った思考している時間もったいないね。

チーム(2人以上)での仕事がうまくいかない

相手がすべて「敵」もしくは自分より「上」なのか「下」なのかに思考を使ってしまうことになり、パフォーマンスが激落ちくん。相手にも不快な思いをさせることになるでしょうね。上下関係なんてこの世に必要なんですかね?

気持ちが落ち込みやすく、活発でなくなる

とりあえず私はこれに一番当てはまる。落ち込んで何もできなくなる。この気持ちが落ち込んだりすることさえなければ俺だってもっと…的な思考すら生まれてくるぐらいです。

このクソったれ勝敗思考、どうしたら良くなるのかな!