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2015年2月28日土曜日

「橋下病」と診断されることには何の意味もないかもしれない

このブログのタイトルにもなっている「橋下病の妻」が橋下病と診断された理由は、「甲状腺の(おそらく良性)腫瘍がある」ただそれだけだと思われます。「甲状腺機能低下症」となれば、その名の通り甲状腺から分泌されるホルモンが低下して様々な症状が出現することを指しますが、橋下病は「自己免疫反応(と思われる)による甲状腺組織の障害」と定義されている(ヌーベルヒロカワ, 臨床病態学2参照)ため、健康な甲状腺にはない、なんらかの障害がある状態であればみんな橋下病、となる(たぶん)。

なので、妻の甲状腺に腫瘍が三つくらいあるのは自己免疫反応による組織の障害によって生まれたものだと予想しているのだろう。しかし、言われた方は.......


で?


って感じです。確かに、橋下病の人が甲状腺機能低下症になることは多いらしいので、リスクファクターのある患者を定期的に観察することは意味のあることだと思う。けど、一般的な病院でやってくれるとこってそこまで。もっとひどくなってから来てねって感じ。日常のマイナートラブルの相談にまでは対応できない(したくない?)。

だから、「橋下病」と診断されることには何の意味もないかもしれない、と思ったんです。

日々妻の症状と向き合うことが大事なのかなと。人間の恒常性ってすごい力を持っているんじゃないかなってずっと思ってきたけど、日々の食べるものだったり、過ごし方だったり、考え方だったりがすごく身体の恒常性に影響する。たぶん。気持ちが晴れるだけで初期の癌が自然に治ったりとかいうことがいつか科学的に証明される日が来ると思う。あ、それは少し証明されてるか。

というわけで、いつか妻もそれに同調して欲しいなと思い、1日1食にしてみたり、ノンシャンプーにしてみたり、ココアを飲んでみたりしている訳です。人間の恒常性をホントの意味で高めることは何かってまだはっきりしていないんです。たぶん。個人差も大きいでしょうし。だから、自分の身体は自分で向き合うしかないんだなと思います。

2015年2月27日金曜日

ワインと食のマリアージュは難しい

先日、神戸でワイン屋さん兼バーのお店にて一杯1200円の赤と泡、一杯2000円の赤をいただき、独り感動していました。ずぶの素人ですが、味わいと香りの複雑さと深さに引き込まれました。どうしてこんないい香りに感じるんだろう、喉を通過したときに感じる絵も言えぬ香りと味わい...もうね、最高でした。

チーズも一緒につまめるようなお店でしたが、お金もなかったので、注文しませんでした。そのとき感じたのは、「ワインを味わいたいなら食べない方が無難」ということです。たしかに、神の雫の世界で語られるようにマリアージュはあり得ると思いますし、私もそれに近い経験がありました。しかし、圧倒的に「はずれ」が多い。せっかく美味いワインだけども、一緒に食べる食事がどうしても味わいの邪魔になる。邪魔にはならないにしても、マリアージュはしていない。そうなると、ワインの味わいに対する集中力のようなものが阻害されてしまって、味と香りと感動が薄れてしまうなと。

なので、最近は食事前にワインだけ味わう時間を持つようにしました。自宅での飲酒を簡単に解禁してしまっていますが、飲むときは1杯と決めて飲むようには心がけています。でも、先日1000円のワインを飲みましたが、しっかりと味わえました。正直、そのワインははずれのワインでしたが、香りと味をしっかり感じられ、楽しめました。

これで多少身体にも良いんだから、一杯くらいならアルコールを飲んでる...など気にせず楽しもうと思います。

上記したワインバーで飲んだワインはブルゴーニュとシャンパーニュでした。個人的にブルゴーニュは特に食とのマリアージュが難しいと感じています。なので、次回は久々にブルゴーニュを購入してみたいと思います。

2015年2月24日火曜日

1日1食に我慢は必要ない

かれこれ1ヶ月と半月が経ちました。個人的には「食べるのを我慢しなくては」という気持ちはありません。「晩飯まで我慢する」という感覚はありますが、これは禁止というよりも「晩飯が楽しみだ」という感覚なので、辛くありません。

高級ホテルに泊まる機会があり、二度寝する時間もあったので、朝食をたらふく食べてみました。食べ過ぎたこともあるのでしょうが、もう身体がだるくて仕方なかったです。相当美味い昼飯の機会以外は積極的に食べようとは思わないんじゃないかと思います。

前日にかなりお酒を飲んだときもありました。だいたい、そういう日の次の日は胃がムカムカするので、それを紛らわそうと蕎麦やラーメンなどの塩っぱいスープの麺類を食べたくなるのですが、今回はあまりそういうこともなく過ごせました。頭痛や口渇など、二日酔いの症状はいつも通りほぼ水分だけで日中を過ごしました。不思議なのは、胃もたれをあまりしなくなった感覚があります。1日2食のときは、必ずと言っていいほど二日酔いには胃もたれの症状があった私ですが、最近はほとんどなくなりました。現在の二日酔い症状は、時々ピリッと痛む頭痛と口渇、あとは睡眠時間も減ってだるさが残る感じです。

さらに不思議なのは、空腹でも昼寝ができるようになったことです。腹が減ってると眠れないことがよくありましたが、今は空腹が普通の状態なので、前日深夜まで飲んでいたりした場合は昼間もウトウト...昼飯を食べていた時は昼寝で数時間眠ってしまうことはザラでしたが、今は15分くらいでスッキリ目が醒める傾向です。ここまで良いことばかりだと思わなかったですよ、1日1食。

2015年2月18日水曜日

自分自身の「人生の嘘」 Part 3

自分は「自己受容」が欠けていた。いや、正確には「自己受容が欠けているフリ」なのかもしれない。自己受容ができていないことを理由にして、「挑戦」をしないことへの言い訳にしている面もあるかもしれない。

ここで、「自己受容」の内容が大切になってくるかもしれない。私は勝敗思考を持つ傾向があるため、他人との比較から完全に抜け出せていない。そのため、私の自己受容の思考は「あの人に比べれば自分はまだマシだ」ということを内包したものになってしまっており、本当の意味での自己受容はできていないと感じている。

ここまで考えてみて、「自己受容」を理解できていないことに気付いた...かっこ悪い。いやいや、自己受容について考えているだけでも十分だ、と思えれれば自己受容になっているのかな。大事なことは過去の自分と比較することかもしれない。以前の自分よりはこんな「変化」があった、のような視点で見ることができていればいいのかもしれない。「成長」という言葉ではしっくりこない気がしている。「成長」しているって、他者評価的な意味がこめられている気がしているから。「あなたも成長したね」なんて、自分の子どもでさえ使いたくない言葉ですね。「前よりもこんな風になったね、変わったね」っていう話し方だと、自分の考えていることが伝わりそうな気がしてる。

自己受容のことはまだまだ理解できていないけど、少し気分を変えて、次は「他者信頼」について。

2015年2月17日火曜日

【ノンシャンプー】半月経過

ノンシャンプーの記事に若干のアクセスがあるため、追記していきます。やっぱり、痒みが5〜6回/日に出現しますね。でも、日々弱くなってきてる感じです。頭皮は見れていませんが、前頭部には目立った赤みはない感じですね。3日間ほどASPIREのエッセンスを塗りたくっていましたが、あまり実感がないし、もったいないのでやめました。

洗っているときの感触としては、やはり頭皮に皮脂がある感じはします。シャンプーしていたときよりはずいぶんと皮脂感は減りました。が、やはり指の腹で頭皮をゴシゴシすると皮脂がつく、という感じ。髪をバサバサすると、頭の匂いはします。昨日ノンシャンプー洗髪後、嫁に嗅いでもらいましたが、やはり皮脂の匂いはするようでした。しかし、シャンプー直後の匂いではないものの、鼻に髪が触れるくらい近づかないと匂いはわからないようでした。めっちゃポジティブに捉えてるだけかもしれませんが、悪臭を放っているわけではなさそうです。

ノンシャンプーを開始して1ヶ月も経過していなかったんですね。まだ開始後の急性期?にいる状況かと思いますが、その割に順調な経過をたどっているんじゃないかと思います。日々の風呂が暇すぎてお風呂掃除ができています。もう少し頭皮の匂いが少なくなれば最高なんですが...4ヶ月経過するまでは我慢ですかね。

2015年2月10日火曜日

【ノンシャンプー】頭皮の炎症...

一昨日髪を切ってきました。美容師さん「頭皮に炎症おきかけてますね」...なにーーー。確かに痒かったけど。妻にも確認してもらうと「全体的に赤いところが点在している感じ」的なこと言われ。仕方ないので、自然派化粧品でおなじみのASPIREのエッセンスで対処。価格の高いものだが、まるでワックスを使うかのように使用。痒みは軽減しました。やはり急にシャンプーやめてしまい、皮脂分泌過剰に耐えられなかったのか。

感覚としては、皮脂の分泌はかなり減った気がしています。夕方にベタつきはほぼないかと。むしろ丁寧に湯シャンしすぎなのかな...とりまエッセンスを塗って様子みようと思いますが。まだ1カ月しか経ってないし。我が子も毎晩お湯をかけるだけの清潔援助しかしていませんが、いたって真っ白できれいな頭皮。羨ましいです。

2015年2月7日土曜日

ノンシャンプー後の経過

シャンプーをやめて何日たったんでしょうかね。いたって好調です。時々痒いときもありますが、それはシャンプーしてた時の方があった気がします。不思議なのは、夕方になったり汗をかいたりしても、頭皮のベタつきや匂いが強くならないところですね。正直、頭の匂いはシャンプーしていたときの方が少なかったと思いますが、夕方になったときの匂いはシャンプーしない時の方が少ない気がします。枕の匂いもキツくなくなった気がします。

あと、自分の脂?が天然の整髪料になると言われていましたが、本当にそうで、毛の根元が立ちやすくなりました。ドライヤーで軽く当てるだけで髪を流すくらいのスタイリングは可能です。前はペタッとしてしまっていたので、髪を乾かすだけでなんとなく形になるので嬉しいですね。髪がしっかりしてまとまるようになった感じ。

問題の薄毛はそんなすぐ変化はないかと思いますが、一本一本がしっかりしたので、薄毛の印象が多少緩和された気がしています。あくまで主観的な印象ですが。なんとなくですが、机の上で作業しているときに落ちる髪の毛の本数が減った感じはしています。改善しなくてもいいので、今の現状を50代くらいまで維持できたら十分と思っています。

そして、お風呂やシャワーにかける時間がおよそ半分になったので、得した気分でいます。基本的に流して終わりなので、暇だなと思ってちょっと排水溝の掃除したりする余裕が朝にあります。むしろ、シャワーとかあんまり身体に浴びない方がいいんじゃないかとすら思うようになってきています。最後にふきあげるときに汚れ落ちるだろうし、本当にざっとお湯を身体に当てるだけで十分なんじゃないでしょうかね。

1日1食もしているので、毎日身体の変化が楽しみに過ごせていますね。痩せて薄毛が治ったらちょっと自意識過剰にならないように注意が必要そうです。

2015年2月5日木曜日

自分自身の「人生の嘘」 Part 2

他者貢献を突き詰めてみると、結局誰かに貢献しているかどうかなんてわからない、という結論にしたくなる。「嫌われる勇気」の中でも引用されていた事例ですが、職場の掃除をしても誰も気付いてくれなければやる意味がないと判断する。確かに、今の私ならそう考えている。だから、費用対効果を考えて労力から得られる結果ばかりを考えて、じゃあ結局その場に合わせてフラフラ過ごしていた方がいいんじゃないの?と思っている。

ここからが本題かと。じゃあどういう思いで「他者貢献」を考えればいいのか。それはやはり「自己受容」「他者貢献」「他者信頼」の3つをバランスよく保てているかが重要になってくる。3つのどれが欠けてもダメ。

先ほどの掃除事例で欠けていたのはまず「他者貢献」。掃除をしたことで得られるメリットを「他者からの見返り」という視点で捉えてしまっているため、毎日掃除をすることで得られる見た目の綺麗さ、(綺麗に保たれているということが良いかどうかは汚くなってから気付くことですが)綺麗さで得られる爽快感、邪魔なものが足元にないことによって安全性も高まります。こんな私でも3つくらいメリットをあげられたので、他の方が考えればもっと出てきそうでそうです。

次に欠けていたのは自己受容...

2015年2月2日月曜日

自分自身の「人生の嘘」

人生の嘘とはアドラー心理学の中で出てくる言葉です。きっと、日々人生の嘘によって形成されていると言ってもおかしくない気がしている。ちょっとネガティヴになっているが、人生の嘘をなくすことは自分の人生に責任を持てるということかなと思った。まずは自分自身の人生の嘘はどんなものがあるかを考えてみたい。

仕事をしていると、どうしても仕事以外の自分が興味を持つ方のことが気になってしまう。今の私はまぁいいやくらいの気持ちでそんな自分の「決断」、つまり自分が「善」となる部分に従っている。では、その「善」は自分が望んでいたことだろうか。変わろうとする「勇気」が持てていないのではないだろうか。意味があるかどうかわからない仕事を続けて何になるんだろう、それなら別にそれに取り組む必要がないだろう、と思っている自分がいる。

ではなぜそのような自分を変えられる「勇気」を持てていないのだろうか。まず、何かを変えたいと思うのは、劣等感から生まれる。健全な劣等感とは「理想の自分」との比較から生まれるもの、らしい。「理想の自分」を考えるときに大切なのは、世俗の競争から身を引いて考えることだと思うので、その点に注意する。さらに、「自立すること」「社会と調和すること」が行動面の目標、「私には能力がある」「人々は私の仲間である」が心理面の目標となるため、その点も考慮する。

そう考えると、自分で言うのはおかしいことだが、行動面の目標に関しては達成していると言っていいのではないか。点数にして85点くらい。今のところ税金も払えているし、「社会と調和していない」と言い切れるほどのこともしていないんじゃないか。

「勇気」を持つためには「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」が必要と言われている。今の自分では、この3つのバランスを崩しやすいのではないだろうか。つまり、心理面の目標が達成できていないことが多い。他者を疑って自己受容ができなくなったり、こんな仕事が一体誰のためになるっていうんだっていう気持ちになったりして、バランスが崩れる。では、どんな場面で崩れてしまうのだろうか。それは「挑戦」が入った場合だろう。

今の私にとって、「挑戦」と言えることはたくさんある。交友や愛のタスクでは、大雑把な分析だが、横の関係が築けていないのが課題だろうと思う。しかし、今私が最も「挑戦」できていないのは仕事のタスク。仕事に取り組むときに一番「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」のバランスが崩れいる気がする。

しかし、「他者貢献」を突き詰めると...