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2014年7月24日木曜日

看護系大学における看護基礎教育の課題(最終回)

今回は、看護学部における必修科目の多さについて。
看護学部が他学部に比べて必修科目の単位数が多いのかどうかをGoogleで検索してみましたが、すぐにはわかりませんでした。

私が言いたいことは、科目数が多いがために、一日中座学をさせられ、その後に復習しろと言うがそんなの誰もやらないでしょ、ということです。効率的にかつ確実に知識を定着させるためには、今の講義スタイルを変えないと無理でしょう。
授業に出てれば定期試験が受けられ、定期試験もそこまで難しくない、95%の学生が通る試験を受けさせて、知識がついたと言えないでしょう。
とにかくできるまで繰り返し試験ができるような仕組みがあれば否が応でも頑張る学生が出てくる。できない学生は落とせばいいんだと思います。もしくはサポートした上で再試験を何度も受けさせる。夏休みなどを利用して。

問題はその知識を確認するためのシステムなのだと思います。
例えば、一科目につき500〜1000問くらいの問題を作成しておき、それがランダムに100問くらい解くような仕組みになっている。合格基準は正答率8割以上として、ダメであれば日を改めて再度受験できる。問題は5択くらいにして、その選択肢もランダムに抽出されるようにしておく。そうすれば番号で覚えられるようなこともない。

と言うのは簡単だし、そう簡単に実現は難しいのだと思いますが、既存の知識を暗記するためだけであればこの方法が合理的かと考えています。

暗記はできても考える力が伸びないので、知識をつけるための座学が減った分、グループワークやディスカッションに時間が割けます。知識はたくさん定着しているので、アイディアも出やすいのではないでしょうか。

いやー、こんな方法で実験してみたいです。
過半数の看護教員に反対されそうですが!

2014年7月22日火曜日

看護系大学における看護基礎教育の課題(Part 3)

私は主に病棟における実習を担当しているので、その課題について。

まず、記録量が膨大過ぎる。ただの修行です。
徹夜して記録を終えた後に得られるのは、達成感だけです。
身体が十分に整っていない状況で実習させても、効率的に考えると良くないのは、教員間の中でも理解されてきているようですが、あの記録量の多さは自分でやってみてくれと言いたくなるくらいの量です。

これは別の機会に詳しく書いてみたいのですが、私は「看護過程」にすごく違和感があります。患者の全体像を捉えるための(学習)ツールのように使われているかと思いますが、ヘンダーソンとかゴードンなどのアセスメントフレームは、ただただ非効率的でわかりにくいです。あんなの情報開示とかで出されても何が何だかわからないでしょ。

看護過程の書き方に時間をとられて、本来大切にすべき基礎看護技術や解剖生理学的知識を確認するのがおろそかになっていると思います。これは、座学における非効率的な学習にも原因がありますが、授業や定期試験ではわからないことを調べるというより、授業で出たところを暗記することが目的になっているので、実習でわからないことを調べようとすると何を見ていいのかわからない、という状況になるようで、自分で調べられない学生もいます。その状況で、さらに睡眠不足状態であるため、記憶も定着しにくいと考えられます。ただ根性をためされているだけです。根性を試しているのなら実習目標に記載すべきですよ。

実習で学ぶべき最低限のことは、ほうれんそうができるようになることだと思います。私が思うほうれんそうは以下の3点です。

  • 自分は何が苦手で何が得意か、どこまで理解できていて何がわかっていないのかが説明できる。
  • 患者さんの状態が報告できる(できれば自分のアセスメントを加えて)。
  • 自分は何に困っていて、今後どうしたらよいと考えているかを相談できる。

よくあるのは、知ったかぶりをする学生。そうなると表面的な指導しか受けられませんので、根拠の薄い知識が身に付き、それが行動に移されたりする場合が最も危険です。インシデントどころかアクシデントにつながります。具体例はまた違う機会に書きます。

実習はOJTではありませんが、社会人基礎力が詰まった素晴らしい学習の機会なので、もっと効果的な運営方法が開発されるべきと思っています。
どうしたらいいのでしょうね。

2014年7月19日土曜日

看護系大学における看護基礎教育の課題(Part 2)

まず、座学について。
大学では主体的教育の大切さが頻繁に述べられています。
しかし、教育者側こそがそれを理解もしくは実践できていない。
その証拠に、学生を座らせ、パワポを使い、90分1コマ×5(9時から18時まで)なんてことを続けているのだと思う。

看護師としてまず学習すべきは暗記ものがほとんど。
インターネットも書籍も豊富な現代で、その気になれば学生はすべて自分で学習できる。
授業を受けるのはある程度の基礎知識を一通り学習できた後にする方が記憶にも定着するし、教員の話が多少わかりにくくても理解できる。

大切なのは、学習した基礎知識をこちらがきちんと評価するための教材を用意できているかだ。評価をするために人とお金を使うべきだ。
「あなたの学習は間違っていなかった、このままそれを続けてください」という道しるべを出してあげるだけで学生は必ず学習し、知識を身につけられるはずだ。

教員がわかりやすくパワポをまとめる時間なんてもったいない。
医療に関する書籍は十分にそろっている。それらの書籍にアクセスできるよう導いてあげるだけで十分だ。
すこし要領のいい学生であれば教員より深く調べ、理解することで自分の知的好奇心を満たせるだろう。
その方がよっぽど内発的動機付けにならないだろうか。

座学なんてやめちまえ、と思ってます。

あまり深い意図はないつもりなのですが、前回あたりから口調がきつくなっていますが、気にしないでいただければと思います。

どんな方法で知識を学んでもらうための道しるべを提供したら良いか、は私にもまだはっきりした答えがない...ので、今後検討したいですね。

2014年7月18日金曜日

看護系大学における看護基礎教育の課題(Part 1)

私のいる大学は、偏差値60弱あるそうです。
もちろん偏差値なんかで人間性をはかられてはたまったもんではありませんが、ある程度の道徳性と理解力と行動力を持った学生が集まっているようです。

そのためか、非常に頑張って勉強しようとしてくれているのに、こちら側の制約やら力不足で、学生の持つ能力を最大限に活かせていないと思う日々です。
看護系大学はしばらくは増えるのかと思いますが、大学として何を・どんなふうに・どんな気持ちで学んでもらい、卒業してもらうべきなのかを日々考えております。

私みたいな若輩者が偉そうこと言うのは良くないのでしょうが、課題がたくさんあります。
  • 非効率な座学の授業。ただ90分を5コマ、机の上での過ごし方が学べます。
  • 膨大な記録に追われ、睡眠不足のまま実習にくることが鍛えられる病院実習。
  • 予習・復習もする時間がとれないほどの必修科目の多さ。
これから、私なりの提案をしていきたいと思っています。
看護系大学はこれからもっと楽しくなります。

2014年7月17日木曜日

看護大学教員(助手)の生活リズムを晒してみる

私が最近影響をうけまくっているブログを真似して書いてみます。

実習中の生活(理想的な生活)
05時30分 起床、ネットサーフィン
06時00分 身支度、子どもご飯準備
06時50分 保育園へ
07時30分 大学到着 歩くと7時50分くらい
08時15分 実習開始
16時00分 実習終了
16時30分 大学で仕事(研究以外の仕事)
17時45分 保育園にお迎え
18時30分 晩御飯
20時00分 お風呂
21時00分 寝かしつけ
22時00分 就寝

大雑把な書き方ですが、理想的にはこんな感じ。
実際、実習中の帰宅時間は19時〜22時の間でムラがあります。

他の大学の方と正確に比較していませんが、おそらく私はかなり優遇された環境にいるのではないかと思っています。それでも、本来なら上記のような生活ができるように日々仕事の効率を上げていきたいと考えています。研究もしたいし。

2014年7月16日水曜日

大学(職場)のこと

気分を変えて、職場のことを少し。

看護系大学というのは全国にたくさんある。
Wikipediaによれば、2013年6月で211校もあるようです。

看護師免許を持っていて、修士を持つ人というのが極端に少ないようで、そのために私みたいな人も教員になるようなご時世という印象です。

でも、看護師はやっぱり私にはきつかった。
ただ看護師を続けることに集中できれば、それも可能だったのかもしれないけど、私にとって看護師の仕事は、自己実現の少ない職場だった。もっとこうしたい、ああしたいというのが出しにくい環境だし(特に大きな病院だったので)、師長とかになってもそれは難しいんだと思う。裁量権がない、という感じでしょうか。

でも教員は、特に研究というフィールドでは自由があるので、そこでは自分のしたいことを考えられて、かつそれが仕事として認められる。つまりは、自分が楽しいと感じていることに時間を割いててもそれは仕事として認められるということ。
大学の先生って一般的にそういうイメージがあるので、改めていうほどのことでもないが、結構これは仕事を続ける上で動機付けになる。

あと、看護師のように病院の中で閉じ込められて仕事をするではないので、結構自由がきく部分も多いです。時間の使い方を自分の裁量で決められることもあるので、その工夫が楽しかったりします。


私から見た看護大学の教員の世界は、まだ偉い人、偉くない人の区別をきっちりする人も多い印象です。
その辺りの話を次回したいと思います。