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2015年1月31日土曜日

岸見アドラー心理学

私は、去年の4月初旬に「嫌われる勇気」に出会いました。哲人と青年の対話が非常にリアルガチで面白かった、ぐらいで読み進めていました。




が、読めば読むほど自分の価値観が崩壊していく感じがあまりに楽しくて。その後半年間くらいは、アドラー心理学の考え方に支えられて、あまり大きく落ち込んだりすることなく過ごせました。しかし、最近また気持ちが安定してこない日々が続いていました。ヒューマン・ギルドという会社の研修に6万円を支払い東京にも2回行きました。研修を受けましたが、3日目になって「この人がもつアドラー哲学は共感できない」と思い、4日目の研修は欠席しました(もちろん許可を得て)。

そして、最近またアドラー心理学について読み直したいと思い、「嫌われる勇気」を読んだりしたり、ネットの記事を検索していました。そして、Googleのニュース検索で岸見一郎さんとの対談がいくつかヒットして読みました。

岸見さんと安藤さんの対談
http://diamond.jp/articles/-/48497
http://diamond.jp/articles/-/48497
http://diamond.jp/articles/-/48510

岸見さんと古賀さんの対談
http://diamond.jp/articles/-/64107
http://diamond.jp/articles/-/64119


やはり、私は「岸見アドラー心理学」に惚れたんだ、と思いました。非常にシンプル。目的論、自己受容・他者信頼・他者貢献、人生の嘘...。「嫌われる勇気」を読んで、少し分かった気になっていましたが、やはり分かっていなかった。原因論に立ち、自分の優劣や正しい正しくないに翻弄され、自己否定に走ってしまっていた。「何が正しい人生なのか」とか考えていた。大切なのは、自己受容して、より大きな共同体にいる他者への信頼、貢献をすること。それでいい。むしろそれができた日こそ「スポットライトを浴びておもいっきり楽しく舞台で踊れている」状態なんじゃないか。

自分が人生の嘘さえついていなければ、今やっていることがいつか誰かに貢献することにつながるはずである。半分妄想かもしれないけど、自分の幸福を構築しようとすることは、それが自分の欲を満たそうとする行動でなければ、必ず誰かの支えになる。妻や息子、両親や兄弟、祖父、友達...。彼らに貢献できるはず。その貢献は誰かと比べた瞬間から貢献する価値の優劣を含むものになってしまうが、それを比較するのは人生の嘘だ。

少し心が軽くなった気がした。悲しいときはおもいっきり悲しめばいい。

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