広告

2015年1月15日木曜日

「成長」ではなく「変化」が大切だと思う

「成長」ではなく「変化」こそが楽しい by イケダハヤトさん

以下、引用

「成長」ではなく「変化」こそが楽しい

昔は「成長」が楽しかったんですよ。ゲームのレベル上げとか大好きで、レベル50もあればラスボスを倒せるのに、なぜかレベル99まで上げてラスボスをボコボコにしてました。ブログのアクセスも同じで、徐々に増えていくのが楽しかったんですよね。
ここ最近は、それよりも「変化」が楽しくなってきました。ブログでいえば、単純にアクセスや収益を伸ばすことよりも、作風を変えることの方が、ワクワク感があるんです。作風の変化によってアクセスが下がったとしても、なんら問題はありません。昔はアクセスの減少が怖かったんですけどね。
変化を楽しめるようになると、人間は強いなぁ、と感じています。成長は上にしか行けませんが、変化は横にも下にも行くことができます。変化を楽しめる人間は、スランプですらも楽しめるわけです。これ最強ですよね。

大学教員としての「成長」と、私にとっての「変化」

私は助手で、教員としての経験は少ないし、教員として任せられていることも少ないです。私が教員として「成長」するとすれば、職位を上げ、講義するようになったり研究業績を積み上げたりすることだと思います。
しかし、それだけだとつまらない。何をもって「成長」とするかを考えれば考えるほどつまらない感じがしてくる。「成長」って足りないものを見つけて、不足部分を補おうとする行動と捉えてしまっているせいもあると思いますが、それって非常にネガティブな出発点じゃないですか。優越コンプレックスに入らないように注意しているつもりですが、いまの自分がそんなにできないダメなやつだ、ともあまり思いたくない。

だから私は「変化」こそ楽しいんだと思います。イケダ先生と視点が違うかもしれませんが、「変化」は昔の自分と比べて変わること。別に優劣とか上下とかない。だから出発点もポジティブな感じがします。「あなた、成長したね」とか言われるとすごく違和感がある。そのように言う人は自分があなたより上の立場にいると誤解している点です。ま、自分で言わないようにしていますが、つい学生に言ってしまうこともある...けど、自分の思考では誰が偉くて誰が偉くないという思考から早く脱却したいです。

私が「変化」するために大切にしていること

自分はただプライドが高くて、ただただ今の自分を否定されることだけが嫌な30代男性に思われるのは辛い。たしかに、ぬるま湯に浸かっていたいという気持ちがあるのでなんとも言えないのですが、少しでも「変化」しようと日々工夫していることがいくつかあります。

「変化」があることを楽しむ
ただ漫然と大学に勤めていても色々な「変化」があります。新しいシステムが導入されたり、文科相からの方針が発表されたりで、大学内の業務が変わったり増えたりします。楽しいものも楽しくないものもありますが、私にとっては「変わる」ということには常にポジティブでいられている気がします。変わることって楽しいですよね。ダメでも良くても次の一歩に踏み込んでいる気がしてます。

本を読む
これは太古の昔から言われていることですが、やっぱり、違う人の考え方をいつどこにいても学ぶことができるというのは非常に有益ですよね。一冊一冊をじっくり読むより、目次などから自分の興味があるキーワードを拾って読むのが好きです。自分の常識が崩される感覚がたまりません。

直感に従う
よーく考えてしまうと、考えているうちに時間が経ってしまい、何もしないで終わってしまう。直感が舞い降りてきたら(?)とにかく誰かに話してみたり行動してみたりするようにしています。しかし、私はまだこの「直感に従う」というのはあくまで常識的な範囲にとどまっている気がしています。ある種「チャレンジする」ということにビビらず行動できるようになりたいなと思う今日この頃です。


どちらにしても、私は恵まれた環境にいますね。
感謝感謝。



0 件のコメント: