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2015年3月17日火曜日

「自分が正しい」と思うことについて Part 1

もし、好きなように自己紹介をして良いと言われた場合、おそらくその場にいる人にとって私は「変わった人」と捉えられると思う。「少数派」であると思う。スネているわけでも自慢したいわけでもないつもりで、「変わった人」であり「少数派」であると思う。

このブログ内の記事をざっくりと読んでもらえれば、「なんとなく異質な印象」を持っていただけると思います。大学時代も、個性が強すぎて先輩から嫌われていた時期があったり、自己評価が高すぎたりした時期もありました。自己評価が高いというのはある意味今も続いていることだと思いますが、少し変化して「自己受容」寄りになってるんじゃないかなと思っています。

ストレングスファインダーをイケハヤさんのブログで知りました。


自分でもトライしてみたところ、下記の項目が該当しました。

着想

あなたは着想に魅力を感じます。では、着想とは何でしょうか? 着想とは、ほとんどの出来事を最もうまく説明できる考え方です。あなたは複雑に見える表面の下に、なぜ物事はそうなっているかを説明する、的確で簡潔な考え方を発見すると嬉しくなります。着想とは結びつきです。あなたのような考え方を持つ人は、いつも結びつきを探しています。見た目には共通点のない現象が、何となく繋がりがありそうだと、あなたは好奇心をかき立てられるのです。着想とは、皆がなかなか解決できずにいる日常的な問題に対して、新しい見方をすることです。あなたは誰でも知っている世の中の事柄を取り上げ、それをひっくり返すことに非常に喜びを感じます。それによって人々は、その事柄を、変わっているけれど意外な角度から眺めることができます。あなたはこのような着想すべてが大好きです。なぜなら、それらは深い意味があるからです。なぜなら、それらは目新しいからです。それらは明瞭であり、逆説的であり、奇抜だからです。これらすべての理由で、あなたは新しい着想が生まれるたびに、エネルギーが電流のように走ります。他の人たちはあなたのことを、創造的とか独創的とか、あるいは概念的とか、知的とさえ名付けるかもしれません。おそらく、どれもあてはまるかもしれません。どれもあてはまらないかもしれません。確実なのは、着想はあなたにとってスリルがあるということです。そしてほとんど毎日そうであれば、あなたは幸せなのです。

他にも4つくらい項目がありましたが、私が「変わった人」になった理由はここにあるな、と強く感じました。私にとっては可能な限り「着想」で占められる時間を大切にしたいんだなって思いました。おかげさまで、その強みを生かすことにためられいがなくなったことが私の少々浮き沈みが激しかった人生を少しずつ好転させていきました。うまく言えていないかもしれませんが「論理的にポジティブになれた」んだと思います。つまりは「自己受容」できたということです。アドラー心理学を勉強してみたり、1日1食やノンシャンプーに取り組めたのも、自分の中にある「着想」の欲求を満たすのに十分でした。多くの人は考えないであろう境地にいようとする自分を誇りに思えています。

やっと本題ですが、そうなってくると「自分の正当性を他の人にも知らしめたくなる」という欲求も生まれてきます。そりゃあ自分では、多くの人が取り組んでいない画期的なものに私は着手している、くらいの気持ちでいるので、それを家族や親しい人などに紹介したくなる。多少おおげさな表現ですが、「みんな、本当の真理を私は知ってますよ、教えてあげましょう」みたいな心境を持ちたくなる。もちろん、そういう想いにならないほうがいいんだろうな、ということになんとなく気づいているのですが、その理由を次回で書いていこうと思います。


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