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2016年4月13日水曜日

子どもの「中性の行動」に、注目しないという注目をしてしまう

私の中で正当化されていた息子(3.5歳)に対する対応で、よろしくなかったなと反省することがありました。
それは、子どもが私にとって迷惑な行動をとったときに、不機嫌な顔になって目を合わせない、おもむろにその場からいなくなる、などといった対応です。私なりに、岸見一郎先生の本から学んだ結果出た行動でしたが、結局私はまだ子どもを支配しようとする考えや横の関係を実践する勇気を持ち合わせていなかったようです。その勇気がないことで、今回のような対応を継続してしまったのだと思います。
例えば、出かけたいので、息子には寝間着から着替えてもらいたいのですが、大抵嫌がります。私は出かけたいので、自分の身支度を整え、出かけてしまおうという行動をあえてします。そうすると、私は頻繁に実際に家に置いて数分外で過ごすということをしますので、息子は焦って「待って!」と大きな声を出したり、泣いたりします。このとき、iPadでYouTubeを見ているときは、そんなことはなく、「待ってる」となります。
そうすることで得られた結果は、子どもが私の顔色を良く観察するようになったということです。最悪です。判断基準は私の顔色です。子どもが自身で考えるチャンスを奪っています。

とは言っても、結局どうすればいいかの答えは出ていません。むしろこの場面に着目せず、もっと普段から感謝の場面を増やす方が、良いのかもしれません。

子どもに対して感謝を述べる場合は、次の良い行動に期待して「ありがとう、助かった」と言うことは操作を目的とした発言だ、という記述があります。確かに、一見同じ行動や言葉のようであっても、その内実は大きく異なることで、その行動の目的は全く違ってくると思います。
今までは意識的に「ありがとう」を連呼していましたが、私が息子に対して言う「ありがとう」には、「操作」の意識が強い感じがしました。それで、一旦やめてみた結果、次の行動が「無視」になっていました。

横の関係が築けるよう自分の考えを整えながら、子どもにはできるだけ「察する」ことよりも「言葉がけ」でコミュニケーションをとってみることが、今の私の決断になりそうです。まずは、きちんと私がどうしたいのか息子に伝える、ことを実行してみます。今までは、その伝えようとする行動で息子がより注目を得られる手段と学んでしまうことを恐れていました。ただ、そこは課題の分離なのかもしれません、注目を得ようとするライフスタイルを選択するか否かは外的環境よりも内的環境でしかわかりえないのだと思います。どのライフスタイルを選択するかは息子の自由です。

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