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2015年5月4日月曜日

人としての価値は皆同様である、ということ

私のマイブームです。人としての価値は皆同様だということ。CEOも大統領も赤ちゃんも学生も教員も皆一緒。だから、教員が頑張ってえらそうに教える人を演じる必要もない。大事なのは専門的知識を備えているかだけではなくて、対等に人と関われることにあるんじゃないでしょうか。

もし、学生と対等な関係が築けたとしたら、学びたいと思う学生はより学べるようになるはずです。学びたいと思う人との壁がないからです。聞きたいことが率直に聞ける。そこで教員が自分の知識が絶対正しいと思って話していれば別ですが、お互いに曖昧なところや発展できる内容を議論できれば、それだけで飛躍的に学びが進化すると思います。

看護学部では、看護師養成という大義名分があるために、広く浅い知識の提供になりがちです。あなたはこれがわかってない、それもわかってないという減点法の教育しかできなくて、枠にきちんと収まるような人材育成になっている。違いますよね。これからは時代もどんどん変化していくのに、過去の知識を持った人の知見じゃなくて、自分がこれから看護師として自らを研鑽していくための力が身につけばいいんだと思います。

その自己研鑽能力を阻害する最も大きな要因が、縦社会的な教員と学生の関係です。別に、何を勉強しようが勉強しまいが、人としての価値は皆同じだという想いで関わることができていれば、あなたの弱点はこんなにたくさんあるのよ、という教え方にはならないはずです。学生が日々学べたことを共有したり、学ぼうとしている人を助けたりするだけでいいんだと思います。得意なことを伸ばすことが弱点の補強になることに誰も気づいてない気がしてしまいます。

こんなことを毎日考えられる私は本当に幸せで自由だと思います。思わず一人でにやけてしまうレベルです。もし、学生と教員の両方が対等な人間関係を築けたら、どんどん学生の能力が解放されていく、もしくは充実感を得られていく、そんなのを妄想しています。

大事なことは、対等な人間関係が良い成績の人材を生み出し、臨床で確かな実績を積む人材を育成することにつながるわけではないということです。あくまで、その人本人の幸福につながるというただそれだけのことです。どんなに病棟で使える人材だろうが、使えない人材だろうが、人としての価値は一緒です。人は誰しもが他者貢献感を持つことができる。そう考えると、人間関係や所属の中でなにかしらの貢献が可能です。その貢献の度合いに優劣はない。そしたら、結果なんてどうでもいいことだと思います。

生きてるだけで丸儲け、というさんまさんの名言が頭に浮かびます。

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