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2014年10月16日木曜日

【懺悔】自分の弱いところ、晒したくないことを書いてみる

ブログを始めたのは、やらなければいけない仕事と真摯に向き合えない自分を変えたかった、という理由もあります。
今日は自分への認知療法(らしきもの)として、自分の弱いところを書いてみたいと思います。

恵まれている職場環境にも関らず、酷い私のサボり癖

私は看護系大学で教員(助手)として働いています。おそらく、他の大学であれば様々な雑務に追われ、人間関係の板挟みなどで「えたひにん」のような生活をしているんだと思います。

私の大学は講師・准教授・教授クラスの人数が多い、もしくは私のできなさ加減で仕事を任されていない、などの理由で(おそらく主に後者の理由で)助手の仕事はそれほどありません。深夜まで授業案を作成するとか、演習の準備に関わる雑用をすべて任されるとかはありません。

はっきり言って、今の業務範囲だけであれば、拘束される事項(会議とか授業補佐とか演習、実習とか)がない日であれば、昼過ぎに帰ることが可能だと思います。
まぁ、 自慢気に書きましたが、もちろんそんなことを続けていれば、先がどうなるか目に見えています。

そんな恵まれた環境にも関わらず、私はサボっています。勉強になっているんだかなっていないんだかわからない本やインターネットの記事をむさぼり、時間をつぶしています。今年度は3回以上は風邪のずる休みをしました。

少し弁解させていただければ、今年の前期はまだまともに働いていました。
実習中に教授の授業資料作成で22時くらいまで残ったりしました。この内容であれば、やっと教員としてギリギリ偏差値50くらいの生活ですかね。
それなりに忙しいものの、現在のようなメンタルではなく、充実感がありました。週末が楽しみで、月曜日に向けて土曜日の早朝に準備するような生活をしていました。

しかし、8月のお盆休みに向けて息切れしたのか、一気にやる気を喪失しました。
日々メールをさばくくらいで、業務の期限ギリギリまで何もせず、直前になって焦って適当に仕上げる感じです。そして17時にはささっと帰る。

もし、同じ看護系大学の助手の方が読んだら気絶するんじゃないか、みたいな内容ですよね。私の作業にログをつけていったら、一日の業務時間は3時間くらいな気がします。

こんな恵まれた環境にも関わらず、私は日々悶々としていて、充実感がなく過ごしがちで、こんな状況を変えたいと(一応は)思っています。

仕事と向き合えない

偉そうに上から目線で言えば、今の仕事は自分のやりたいことではないのかな、と思うときがあります。アドラー的には貢献感が持てれば、というところなのかなと思いますが、私はまだこの仕事で他者から必要とされるような技術がなくて、貢献感は持てていません。

いや、貢献感はあくまで自己満足で良いはずだったので、ただ技術がなくて貢献感がないのではなく、私がそう思えていないだけなのでしょうかね。

仕事と向き合えないのは、貢献感が持ててないから、別に俺なんて必要ないんでしょ〜とかスネた思いから抜け出せないでいるんでしょうか。自分が日々していることが他者のためになっている、という認知が持てるようにしなくてはいけないのでしょうか。そして、今の自分をしっかり受け入れる、ということをしなくてはいけないのでしょうか。

一番良くないのは、今の現状を相談できる相手がいないこと?

一応、こんな今の自分の心理状況を変えたいと思っています。その方が充実感も持てるし、今は生きた心地がしません。
とりあえず、自分が感じていることを整理する意味でも人に相談するのが良いのかもしれません。ブレインストーミングのように、話していると自然とスッキリするのかも。
妻に相談できれば良いのかもしれませんが、妻は仕事の疲れとストレスの解消のために時間が必要で、難しい。友人も、ここまで酷い私の現状を打ち明ける勇気がなく...残された道は、ブログで発散するか、カウンセリングを受けるか。

ホント、私ってダメ人間です。


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