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2016年10月4日火曜日

子どもが親に協力してくれないときの考え方と行動

最近、特に息子に対してですが、個人心理学を学んでいるものとしては恥ずかしい言動が多いです。

いかに親の意向に沿う行動を促すか...

支配欲求ですね。

子どもを尊敬・信頼していない証拠です。

改めて、岸見一郎先生の「子育てのため
のアドラー心理学入門」を読みました。


p151〜
子どもの側から援助の依頼があれば、可能な限り援助して欲しいのです。これはあなたの課題だから自分で解決しないといけないというのは、私にはあまりに冷たいと思います。もちろん、そんなふうに子どもの側から援助の依頼があったからといって、何もかも引け受けなければならないわけではないとは思いませんし、実際できないことが多いでしょう。しかし、可能な限り、私は引き受けようと考えています。
私は、4歳の息子が自分で着替えたり食べたりできるのに、自分でしないことに毎朝のように腹を立てています。

「理想の息子」をこしらえて、その息子と比較しているのです。

そして、息子の課題に土足で踏み込みます。

「なんで着替えしないの(できないの)」
「何度もお願いしているのになんでしてくれないの」
「自分でしてくれないと父さん困るんだけど」

尊敬も信頼もゼロのコミュニケーションの完成です。

ここでの課題は、私が仕事に間に合うように保育園に行くこと、であって、息子が自分で着替えをするかどうか、ではないということです。

私は、息子に聞けばいいだけです。

「仕事の時間に間に合わなくなりそうだから、お着替えを手伝ってもいい?」

私が息子に介入することに対して、一言声をかけ、承諾を得ることが大切だと思います。

もしかしたら何もかも自分でできない子が育つかもしれません。
依存的になるかもしれません。

それは、子どもの課題であって親の課題ではないと思いました。

もちろん、依存的になってしまったことで、人からの援助を当たり前のように思う人に育つか否かは、育て方ではなく、息子の受け止め方にあるのかもしれません。

介入することに対して本人の承諾を得るというプロセスには、尊敬と信頼の意味を込めることしかできないのです。

息子が自分でなんとかしようと思うか否かは、息子にしか決められません。

「18歳までにできるようにならなければ、そのとき考えよう」

ちょっと前の私が考えていたことです。

だいたいのことは、専門的な訓練などがなくてもできるようになります。

息子にも妻にも、尊敬と信頼を示すことができる場面を増やしていくのが、私の課題です。

岸見一郎先生の新刊もご紹介しておきます。また新たな発見があるかもしれません。


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