今更ですが、ウルフ・オブ・ストリートを見ました。
金さえあれば生きていける。むしろ、金があればすべて手に入る。
そういった意味が込められた映画だった気がした。
確かに、今の社会では金があれば成功者のように振る舞うことができる。
今の私も、ある程度の収入があるからこそ得られているものがたくさんある、
金を稼ぐためには、今の仕事で成果も出さなくてはいけないのかもしれない。
仕事で成果を出すために努力することも、私が実践すべきことの一つなのかもしれない。
しかし、岸見一郎先生は、こんな風に言っていました。
変える責任を自分で取る必要はあるけど、自分がどうするかは自分が決めていい。
だから、動物的にハチャメチャに生きれば良いわけではないのですし、社会的地位とたくさんお金が手に入る人生を目標にする選択肢もあるけど、まずは今ここにいる自分がしたいことを積み上げながら前に進んでいたら良いのかもしれません。
難しいのは、無意識に自分で自分にブレーキをかけてしまっている状態から脱却することです。
例えば、私はプログラミングとかアプリ開発に興味があります。
しかし、今の仕事に役に立つかどうかもわからないし、仕事に役立てたいのかもはっきりしていない。
そして、そのスキルを身につける自信と努力を時間をかけて取り組めるのか、何よりも優先して取り組みたいことなのか...?
などなど
やらないための理由を作り上げています。
とはいえ、私にとってその程度のことなのかもしれないと考えることもできます。
何かから逃げるために、何かに取り組んでいるかもしれない悪循環から脱却できれば最高ですね。
でも、何かから逃げるためでも、取り組んでいるうちに好きなものが見つかるのかな?
はっきり言って、いい気持ちがしない作品ですが、それは自分にも似たような、「気持ちの良くない=認めたくない」側面があるからなのかなと思いました。
金さえあれば生きていける。むしろ、金があればすべて手に入る。
そういった意味が込められた映画だった気がした。
確かに、今の社会では金があれば成功者のように振る舞うことができる。
今の私も、ある程度の収入があるからこそ得られているものがたくさんある、
金を稼ぐためには、今の仕事で成果も出さなくてはいけないのかもしれない。
仕事で成果を出すために努力することも、私が実践すべきことの一つなのかもしれない。
しかし、岸見一郎先生は、こんな風に言っていました。
一度決めたことは最後までしなくてもいいんだということですね。会社に入ってみたけど「ここは自分の居場所ではないな」と思ったとき、最初の決断を翻す勇気をもってほしい。日本人は一度決めたら最後までやり続けないといけないと思いがちです。哲学者の鶴見俊輔はそれを「サムライ的正義感」と呼びましたが、かつての戦争も、勝てないとわかっているのにやめられなかった。日本では「一度決めたら最後まで」というのが美徳とされていますが、それはウソなんだということを知ってほしい。アドラーは、決断を覆すことの重要性も教えています。自分でいったん決めたことであっても、周囲の状況が変わったり、自分の判断が間違っていたと分かったりすれば、その決断を覆してもいいのです。それは勇気がいることですが、すごく大事なことだと思います。目標は変えてもいい。
変える責任を自分で取る必要はあるけど、自分がどうするかは自分が決めていい。
だから、動物的にハチャメチャに生きれば良いわけではないのですし、社会的地位とたくさんお金が手に入る人生を目標にする選択肢もあるけど、まずは今ここにいる自分がしたいことを積み上げながら前に進んでいたら良いのかもしれません。
難しいのは、無意識に自分で自分にブレーキをかけてしまっている状態から脱却することです。
例えば、私はプログラミングとかアプリ開発に興味があります。
しかし、今の仕事に役に立つかどうかもわからないし、仕事に役立てたいのかもはっきりしていない。
そして、そのスキルを身につける自信と努力を時間をかけて取り組めるのか、何よりも優先して取り組みたいことなのか...?
などなど
やらないための理由を作り上げています。
とはいえ、私にとってその程度のことなのかもしれないと考えることもできます。
何かから逃げるために、何かに取り組んでいるかもしれない悪循環から脱却できれば最高ですね。
でも、何かから逃げるためでも、取り組んでいるうちに好きなものが見つかるのかな?
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