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2017年3月18日土曜日

他者の課題を切り捨て、「人生の嘘」から目を逸らさない

嫌いな人がいます。

正確には、私が望まないことをしようとする人がいます。

つまり、私の課題に踏み込んでこようとしている人です。

だから、私は嫌悪感を抱いているのだと思いました。

しかし、
目的論からすれば、私は何かの目的があってその人を嫌っていると考えることができます。

その人との関係を終わらせたいからでしょうか。
あるいは、自分がしたいことを押し通したいからでしょうか。
対人関係で傷つくのを恐れているのでしょうか。

抽象的に表現すれば、今の私は「人生のタスク」を回避しようとしている状態と言うことができるでしょう。

嫌うことによって、自分にメリットがあるはずです。

最も大きい目的は、傷つくのを恐れていること、だと思います。
自分が人生の課題にしていることを、その人に言えば、たちまち否定されてしまうだろうと思っています。
つまり、「共同体感覚」が失われている状態です。

さらに、これは「勇気」の問題でもあります。

私が誰かを嫌っている、「人生のタスク」を回避しようとする行動につながるのであれば、それはただ善悪の問題ではなく、ただ勇気が足りないだけです。

つまり、他者の課題を切り捨て、行為による価値を否定し、自分の価値は自分で決めて良いんだと選択することの勇気です。

私は、私なりに生きて良い。
それが今の職場の人に評価される必要はない。
今の職場に必要とされていないのであれば、ただ職場を変えれば良いだけ。
解雇されることで、私の存在そのものの価値が下がるわけではない。

解雇されることで、どうしたらもっと誰かに貢献できるようになるんだろうと思うことはあるかもしれません。


それはそのときどうしたら良いか考えれば良いだけです。

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