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2014年9月26日金曜日

生きづらい時代の幸福論

タイトルの本、今年の1月に購入していましたが、読んでいませんでした。

私、最近なかなかメンタルが上がってこないんで、気晴らしに読んでみました。そしたら目次にアドラー心理学が出てきてびっくり。嫌われる勇気で結構アドラー信者になっていたので、さらに読み進めました。

その後出てきたのがマズロー。 看護の 分野にいると必ず耳にする理論家?です。自己実現の欲求の中に「高次動機」と「低次動機」なんて言葉が使われていたなんて知りませんでした。あとは「至高者」と「非至高者」。「至高者」は、身近に起きている様々な事柄にエクスタシーを感じる人、と私は理解しましたが...

その後出てきたのがフランクル。「幸福のパラドックス」だそうです。幸福を追い求めてもそれは得られないとのこと。幸福を感じられるのは、無心で何かに取り組んでいるときだそうです。

無心で何かに取り組んでいるとき

自分にそんなときあったかな〜と思い返してみました。おそらく、「無心」とは打算的にならず、その行動自体がエクスタシーな状態のことなんだと思います。自分が無心でできたことはなんだったでしょうかね。

ミニ四駆を組み立てていたとき

誰かに自慢したいとか、そういう気持ちはほぼなかったと思う。周りでやっている人ほとんどいなかったし。コロコロコミックとかに載っていた肉抜きして塗装を施しているミニ四駆の写真を見て、こんな風に作りたいとよく思って失敗しまくりました。結局うまくできないし、速い車に改造できなかったので、やめましたが。あと、ミニ四駆関連の工具やらパーツを工具箱につめるのも好きだったのかな。これも写真みて憧れた感じ。

...これってただ消費者心理を刺激されただけの行動かな?(苦笑)

けん玉、ヨーヨーが好きだった

1人でできるスポーツの方が良いのかな〜私は。これもほぼミニ四駆のときみたいに周りの評価を得るためとかよりは、その動作自体が楽しかった。特にヨーヨーは写真で見て消費者心理をつかれた感じ... 。けん玉は、後輩がどんどんうまくなっていくのを目の当たりにしてやめちゃった感じかな。

話が逸れた...

「自分がこの世に生まれてきたことの、意味と使命とを実現していくのが人生だ」という人生観への転換
これは難しいですよね。「私は、なすべき時に、なすべきところで、なすべきことをしている」という感覚が「生きる意味」なんだそうです。「自分を待っている誰か」のため、「自分を待っている何か」のために、なすべきことをしていくのが人生だ、と。この辺りは、アドラーの他者貢献感に似ていますかね。




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