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2015年7月25日土曜日

プチ糖質制限断食のおかげで糖質中毒からの離脱?

どうしても、週末の空腹感は発生しておりましたが、プチ糖質制限断食をした結果、ケトン体をうまく使えているのか、苦しくなく過ごせました。昨日(今日)は0時〜朝4時まで飲んでいましたが、断続的な4時間ほどの睡眠でも昼以降にそれほど眠気を感じずに過ごせました。アルコールはビール2杯とハイボール1杯と焼酎1杯と日本酒1合で、飲んでた際のツマミは、パスタなど少量食べましたが、低糖質だった記憶です。量もそれほど食べていないのですが、空腹感など感じずに過ごせました。あと、いつもなら〆を食べたくなるのですが、食べずに就寝できました。正直言えば、ちょっとコンビニに寄りたい衝動にかられましたが、それほど気持ちが傾かなった、という感じです。

1日1食を継続していたことで、空腹感にも慣れ、ケトン体に切り替わりやすい身体になっていたのではと思います。その上で、断食するつもりで、つまりは満腹感と満足感を食事に求めないという気持ちで食事に臨む(笑)ことで、苦なく取り組めたのではないかと思いました。昼前にはバター卵スープをいただきました。

2015年7月24日金曜日

断食するつもりで1日1食糖質制限

断食の効果を検討中です。今まで、糖質制限食は継続できていませんでしたが、1日1食は非常に快適だったので、続けていました。というか、自然に食べなくなっていました。週末とかは食べてしまいますが。それでも昼食の時間に少量食べる程度です。で、私の身体は1日1食に適応した身体にはなったのだと思いましたが、おそらく、ケトン体を有効に使える身体にはまだなっていないのではと思い始めました。そこで、断食するつもりで糖質制限食をしてみようと思い立ちました。今までは、夕食への満腹感と満足感を求めていましたが、その気持ちを捨て、断食しようと思いましたが、好転反応も危険な場合があるので、少食にしてかつ糖質制限食にすることにしました。お腹いっぱい食べるわけではないけど、断食するつもりで一昨日と昨日の2日間の夕食を糖質制限にしてみました。
結果は、左のグラフの通りです。体重はあまり落ちず、体脂肪は多少落ちた印象です。断食するつもりで臨んでるので、血糖値上昇による満足感を得られずとも、それほど苦ではありませんでした。また、今までは、1日1食だし、しっかりたくさん食べなきゃ、みたいな気持ちがあったのですが、それもなくしていたので、糖質制限された食事が多少少量でも気にせずに食べることで、それほど危機感のようなものもなく過ごせました。
週末なので、今日は普通食に戻してお酒も飲んでしまいそうですが、平日にまた再開できたらなと思います。

2015年7月23日木曜日

アドラー心理学を大学での看護教育に生かすのは困難...

まだまだ不勉強ですが、アドラー心理学を基本とした学生への関わりを大切にしてはいますが、今疑問に感じていることがあります。

「間違い」を指摘するにはどうしたらよいか、です。

教員側として学生に「こうなって欲しい」といったことはたくさんあります。しかし、それが勇気をくじくことにつながらないのか、という側面に注意する必要はあると思われます。だからといって、何も言わないでいると、私のように冷たい言葉をもらうことにもなります。別に、普通に普通に言えばいいのかな?こうした方が良かったんじゃないか?というような言い方で。

常に自分がどうするか、が求められるのがアドラー心理学ですよね。やはり厳しい心理学です。ただ、課題の分離ができれば、学生がどういう学びをするかは学生次第、というように考えてもいいのかもしれません。今の大学教育はしっかり看護師免許をとらせることが求められているので、そういった意味では教育制度自体が課題の分離をできていないのかもしれません。

2015年7月19日日曜日

辛い現実

辛いことがあると、環境を変えてみたくなります。
きのくに子どもの村学園http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php
を見つけました。サドベリースクールと概念が似ているのかなと思いました。「常識」では、社会に馴染むことが求められますが、そもそもその社会に疑問を持つことがあれば、無理に従う必要はないのでしょうね。

みんなが協力して生活し、かつ多様性を認められる社会は不要なのでしょうか。正義と悪、はそんな簡単に線引きできるものなのでしょうか。改めて、人としての価値を考えたくなります。継続することは辛いこともありますが、楽な側面もあります。今の社会的責任から逃げる、という側面もありますが、社会的地位を捨てるという側面もあります。自分が今何をしたいのか、誰のために何ができるのかを考えることが大切かも。

タイトルで「まだ競争で消耗してるの?」としていますが、私も十分競争で消耗していますね。みっつさんの言う通りです。普通であることを捨てられないんですね。ただ、私はそれを捨てたときにどうするかを少し考えています。これだけで0.001歩くらいにはなっているかと思います。

今年、自分にとって挑戦の年にしたい、と漠然と思っていました。ある意味、挑戦はできていると思います。アドラーの考えを基礎とした、人との関わりを日々考えることができています。これは本当に楽しいことです。不安になることもありますが、トライできているなと思います。難しいのは、自分とは違う考えを持った人にたいして否定的な感情を持たずに、多様性を受け入れてコミュニケーションをとることができていない点が気になります。「自分が正しい」と思いたいのかもしれません。私にはまだ、「自分の芯」のようなものがないから、「正義」にすがりつきたいだけなのかもしれません。芯がなくてふにゃふにゃなのも、いろんなものを包み込めていいかもしれませんが。


2015年7月18日土曜日

悔しい想い

確かにこちらにも非があったのは重々感じていますが、こちらを屈服させるような話し合いに何か有益なものは生まれるんでしょうか?こちらの言い分を理解しようとしない姿勢は、建設的なんでしょうか。こちらを反省させることがあなたの目的なんでしょうか。私が反省すればあなたは満足なんでしょうか。同じことが二度起こらないようにするための対策はそのような議論で導き出されにくいのではないでしょうか。こちらはただただあなたへの否定的な気持ちしか生まれないです。

でも、こんな感情が生まれるのも私が未熟なのでしょうね。あなたがどんな態度を取ろうと、私は自分の人生の課題へ取り組むべきだったところを、自分の意見を言わずに逃げ出してしまったのですから。全ては自己責任。厳しい心理学だぜ、アドラー先生。